荀子 / 大略篇
禮以順人心為本,故亡於禮經而順於人心者,皆禮也。
新字:礼以順人心為本,故亡於礼経而順於人心者,皆礼也。
書き下し
礼は人心に順うを以て本と為す。故に礼経に亡くして人心に順う者は、皆な礼なり。
現代語訳
礼は人の心に従うことを根本とする。だから礼の経文に記されていなくても、人の心にかなうものは、みな礼なのである。
解説
礼の本質を一言で示した、大略篇でも特に大切な一段です。礼の根本は人の心に従うことにある。だから、礼の経典に書かれていないことであっても、人の心にかなっているならば、それはすべて礼だと荀子は言い切ります。ここには、条文をなぞることが礼なのではない、という強い主張があります。書かれた作法は、人の心の自然な動きを整えるために後から形にされたものであって、順序としては心が先、条文が後なのです。だから前例のない場面でも、人の心に沿って考えれば、そこに新しい礼が生まれる。規則がないから何もしない、という態度こそ礼から遠いのです。私たちの仕事でも、マニュアルに書かれていない場面は必ず訪れます。そのとき何を頼りにするか。この一段は、条文の外にある判断の軸を教えてくれます。
この章句が説くこと
礼は人心に順うを本とす礼経に亡くして礼条文と心前例なき判断礼本質
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