荀子 / 大略篇
賜予其宮室,猶用慶賞於國家也;忿怒其臣妾,猶用刑罰於萬民也。
新字:賜予其宮室,猶用慶賞於国家也;忿怒其臣妾,猶用刑罰於万民也。
書き下し
其の宮室に賜予するは、猶お慶賞を国家に用うるがごときなり。其の臣妾に忿怒するは、猶お刑罰を万民に用うるがごときなり。
現代語訳
家の中の者に物を与えるのは、国家において恩賞を用いるのと同じことである。召使いに怒りをぶつけるのは、万民に刑罰を加えるのと同じことである。
解説
家の中での振る舞いと、国を治める振る舞いは地続きだと説く一段です。家の者に物を与えるのは、国で恩賞を与えるのと同じこと。召使いに怒りをぶつけるのは、民に刑罰を加えるのと同じこと。荀子は、規模が小さいからといって家の中の賞罰を軽く見るなと言っているのです。むしろ、身近な相手にどう賞し、どう罰するかにこそ、その人の賞罰の癖が正直に出ます。気分次第で与え、感情のままに怒る人は、国を預ければ同じことを万民に対してやってしまう。だから家庭は、賞罰の稽古の場でもあるわけです。私たちも、家族や部下といった近い相手にこそ、感情の八つ当たりをしがちです。近い相手への賞罰が公平であるかどうかを点検することは、そのまま自分がより大きな責任に耐えられるかどうかの試験になります。
この章句が説くこと
家と国は地続き慶賞と刑罰身近な相手への公平感情の統御規律
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