荀子 / 大略篇
親迎之禮,父南向而立,子北面而跪,醮而命之:「往迎爾相,成我宗事,隆率以敬先妣之嗣,若則有常。」子曰:「諾!唯恐不能,敢忘命矣!」
新字:親迎之礼,父南向而立,子北面而跪,醮而命之:「往迎爾相,成我宗事,隆率以敬先妣之嗣,若則有常。」子曰:「諾!唯恐不能,敢忘命矣!」
書き下し
親迎の礼は、父は南向して立ち、子は北面して跪き、醮して之に命ず。「往きて爾の相を迎え、我が宗事を成せ。隆く率いて以て先妣の嗣を敬まば、若ち則ち常有らん」と。子曰く「諾。唯だ能わざるを恐る、敢えて命を忘れんや」と。
現代語訳
花婿が花嫁を迎えに行く親迎の礼では、父は南を向いて立ち、子は北を向いてひざまずく。父は酒を注いで杯を与え、こう命じる。「行っておまえの伴侶を迎え、わが家の祭祀を受け継がせよ。うやうやしく導いて、亡き母の跡を継ぐ者として敬うならば、家の常道は保たれるだろう。」子は答える。「はい。ただ力の及ばぬことを恐れるばかりです。どうしてお言いつけを忘れましょうか。」
解説
婚礼の中でも、花婿が花嫁を迎えに行く親迎の場面を描いた一段です。父は南を向いて立ち、子は北を向いてひざまずき、父が酒杯を与えて言葉を授けます。その言葉は「妻を迎え、家の祭祀を受け継がせよ。うやうやしく導き、亡き母の跡を継ぐ者として敬え」というもので、子は「ただ力が及ばぬことを恐れるばかりです」と応じます。ここで語られているのは、結婚が二人だけの慶事ではなく、前の世代から次の世代へ家を受け渡す節目だという感覚です。妻を敬うようにと父が命じている点も見逃せません。婚礼の作法は、その重みを本人に自覚させるための装置なのです。現代の結婚の意味は当時と同じではありませんが、節目にあたって言葉を交わし、覚悟を口にする営みには、今も人を支える力があります。
この章句が説くこと
親迎の礼宗事を成す世代を継ぐ婚礼と覚悟礼
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。
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