荀子 / 性悪篇
堯問於舜曰:「人情何如?」舜對曰:「人情甚不美,又何問焉!妻子具而孝衰於親,嗜欲得而信衰於友,爵祿盈而忠衰於君。人之情乎!人之情乎!甚不美,又何問焉!唯賢者為不然。」
新字:堯問於舜曰:「人情何如?」舜対曰:「人情甚不美,又何問焉!妻子具而孝衰於親,嗜欲得而信衰於友,爵禄盈而忠衰於君。人之情乎!人之情乎!甚不美,又何問焉!唯賢者為不然。」
書き下し
堯(ぎょう)、舜(しゅん)に問いて曰く、「人情は何如(いかん)」と。舜対(こた)えて曰く、「人情は甚だ美ならず、又(また)何ぞ問わんや。妻子(さいし)具(そな)わりて孝は親に衰え、嗜欲(しよく)得られて信は友に衰え、爵禄(しゃくろく)盈(み)ちて忠は君に衰う。人の情かな、人の情かな。甚だ美ならず、又何ぞ問わんや。唯(ただ)賢者のみ然らずと為す」と。
現代語訳
堯が舜に尋ねて言った。「人の情とは、どのようなものか」と。舜は答えて言った。「人の情ははなはだ美しくありません。今さら何をお尋ねになるのですか。妻子ができると親への孝行が薄れ、欲しいものが手に入ると友への信義が薄れ、地位と俸禄が満ちると君主への忠誠が薄れる。これが人の情なのです、これが人の情なのです。はなはだ美しくない。今さら何をお尋ねになるのですか。ただ賢者だけが、そうではないのです」と。
解説
聖王どうしの対話という形をとりながら、人の情の身も蓋もない現実を突きつける段です。妻子を得れば親への孝が薄れ、欲しいものが手に入れば友への信義が薄れ、地位と俸禄が満ちれば君主への忠が薄れる。舜が挙げる三つは、いずれも「何かを得たとき」に起こる変化です。人は不足しているときより、満たされたときにこそ、大切なものを取りこぼす。この観察の鋭さは、二千年を経てもまったく古びていません。昇進したとたんに現場への敬意を失う、成功したとたんに支えてくれた人を忘れる——身に覚えのある光景でしょう。だからこそ、順風のときほど自分を点検する必要があります。舜は最後に「ただ賢者だけがそうではない」と言い添えました。それは生まれつきの賢さではなく、意識して手放さない努力のことなのです。
この章句が説くこと
堯と舜の問答人情甚だ美ならず得たときに失うもの順境の自己点検
関連する章句
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荀子・性悪篇孟子曰く、「今(いま)人の性は善なり、將(まさ)に皆(みな)其の性を失喪(しっそう)せんとするが故なり」と。曰く、是(かく)の若(ごと)くんば則ち過(あやま)てり。今人の性、生まれながらにして其の朴(ぼく)を離れ、其の資(し)を離るれば、必ず失いて之を喪(うしな)わん。此れを用て之を観れば、然らば則ち人の性の悪なるは明らかなり。所謂(いわゆる)性善なる者は、其の朴を離れずして之を美とし、其の資を離れずして之を利とするなり。夫の資朴の美に於(お)ける、心意の善に於けるをして、夫の以て見るべきの明の目を離れず、以て聴くべきの聡の耳を離れざるが若くならしめん、故に目明らかにして耳聡しと曰うなり。今人の性、飢えては飽かんことを欲し、寒くしては煖(あたた)かならんことを欲し、労しては休まんことを欲す。此れ人の情性なり。今人、長(ちょう)を見て敢えて先に食らわざる者は、將に讓る所有らんとすればなり。労して敢えて息(いこ)わんことを求めざる者は、將に代わる所有らんとすればなり。夫れ子の父に讓り、弟の兄に讓り、子の父に代わり、弟の兄に代わる、此の二行なる者は、皆(みな)性に反(そむ)きて情に悖(もと)るなり。然り而(しこ)うして孝子の道、礼義の文理なり。故に情性に順えば則ち辞讓せず、辞讓すれば則ち情性に悖る。此れを用て之を観れば、人の性の悪なるは明らかなり、其の善なる者は偽なり。
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荀子・堯問篇堯、舜に問いて曰く、我、天下を致さんと欲す。之を為すこと奈何(いかん)、と。対えて曰く、一を執りて失うこと無く、微を行いて怠ること無く、忠信にして倦むこと無くんば、天下自ら来らん。一を執ること天地の如く、微を行うこと日月の如く、忠誠内に盛んにして、外に賁(あら)われ、四海に形(あら)わる。天下は其れ一隅に在らんや。夫れ何ぞ致すに足ること有らんや、と。
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荀子・性悪篇凡そ人の善を為さんと欲する者は、性の悪なるが為なり。夫れ薄(はく)は厚きを願い、悪(お)は美を願い、狹(せま)きは広きを願い、貧は富を願い、賤(せん)は貴(き)を願う。苟(いやし)くも之(これ)中(うち)に無き者は、必ず外に求む。故に富みては財を願わず、貴くしては埶(せい)を願わず。苟くも之中に有る者は、必ず外に及ばず。此れを用て之を観れば、人の善を為さんと欲するは、性の悪なるが為なり。今人の性、固(もと)より礼義無し、故に彊(つと)めて学びて之を有せんことを求むるなり。性は礼義を知らず、故に思慮して之を知らんことを求むるなり。然らば則ち性のみならば、則ち人に礼義無く、礼義を知らず。人に礼義無ければ則ち乱れ、礼義を知らざれば則ち悖(もと)る。然らば則ち性のみならば、則ち悖乱(はいらん)己(おのれ)に在り。此れを用て之を観れば、人の性の悪なるは明らかなり、其の善なる者は偽なり。
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荀子・栄辱篇凡そ人には一に同じき所有り。飢えては食を欲し、寒くしては煖を欲し、労しては息(いこ)いを欲し、利を好みて害を悪む。是れ人の生まれながらにして有する所なり、是れ待つ無くして然る者なり、是れ禹も桀も同じくする所なり。目は白黒美悪を辨(わきま)え、耳は音声の清濁を辨え、口は酸鹹甘苦を辨え、鼻は芬芳(ふんぽう)腥臊(せいそう)を辨え、骨体膚理は寒暑疾養を辨う。是れ又た人の常に生まれながらにして有する所なり、是れ待つ無くして然る者なり、是れ禹も桀も同じくする所なり。以て堯・禹と為るべく、以て桀・跖(せき)と為るべく、以て工匠と為るべく、以て農賈(のうこ)と為るべきは、埶(せい)と注錯習俗の積む所に在るのみ。是れ又た人の生まれながらにして有する所なり、是れ待つ無くして然る者なり、是れ禹も桀も同じくする所なり。堯・禹と為れば則ち常に安栄、桀・跖と為れば則ち常に危辱。堯・禹と為れば則ち常に愉佚(ゆいつ)、工匠農賈と為れば則ち常に煩労す。然れども人は力めて此れを為して、彼れを為すこと寡(すく)なきは、何ぞや。曰く、陋(ろう)なればなり。堯・禹なる者は、生まれながらにして具わる者に非ざるなり。夫れ変故より起こり、脩為に成り、尽くすを待ちて而る後に備わる者なり。人の生まれながらは固より小人なり、師無く法無ければ則ち唯だ利のみ之れ見るのみ。人の生まれながらは固より小人なり、又た以て乱世に遇い、乱俗を得れば、是れ小を以て小に重ね、乱を以て乱を得るなり。君子、埶を得て以て之に臨むに非ざれば、則ち由りて内(い)るるを開くを得る無し。今是の人の口腹、安くんぞ礼義を知らんや、安くんぞ辞譲を知らんや、安くんぞ廉恥隅積を知らんや。亦た呥呥(ぜんぜん)として嚼(か)み、郷郷(きょうきょう)として飽くのみ。人に師無く法無ければ、則ち其の心は正に其の口腹なり。今人をして生まれて未だ嘗て芻豢(すうけん)稲粱(とうりょう)を睹(み)ず、惟だ菽藿(しゅくかく)糟糠(そうこう)のみを之れ睹しめば、則ち至足は此に在りと以(おも)えり。俄かにして粲然として芻豢稲粱を秉(と)りて至る者有れば、則ち瞲然(けつぜん)として之を視て曰く、此れ何の怪しきぞや、と。彼れ之を臭(か)げば鼻に嗛(こころよ)く、之を嘗むれば口に甘く、之を食えば体に安し。則ち此れを棄てて彼れを取らざるは莫し。今夫の先王の道、仁義の統を以て、相い群居し、相い持養し、相い藩飾し、相い安固するか。夫の桀・跖の道を以てするか。是れ其の相い県(へだ)たること為るや、幾(あに)直(ただ)に夫の芻豢稲粱の糟糠に県たるのみならんや。然れども人は力めて此れを為して、彼れを為すこと寡なきは、何ぞや。曰く、陋なればなり。陋なる者は、天下の公患にして、人の大殃大害なり。故に曰く、仁者は人に告げ示すを好む、と。之に告げ、之に示し、之を靡(なび)かし、之を儇(めぐ)らし、之を鈆(みちび)き、之を重ぬれば、則ち夫の塞がる者も俄かに且(まさ)に通ぜんとし、陋なる者も俄かに且に僩(ひろ)からんとし、愚なる者も俄かに且に知ならんとす。是れ若し行われずんば、則ち湯・武上に在るも曷(なん)ぞ益あらん、桀・紂上に在るも曷ぞ損あらん。湯・武存すれば、則ち天下従いて治まり、桀・紂存すれば、則ち天下従いて乱る。是くの如き者は、豈に人の情、固より与に此くの如くすべく、与に彼くの如くすべきに非ずや。
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荀子・性悪篇問う者曰く、「礼義積偽(せきぎ)なる者は、是れ人の性なり、故に聖人能く之を生ずるなり」と。之に応じて曰く、是れ然らず。夫れ陶人は埴を埏(こ)ねて瓦を生ず、然らば則ち瓦埴(がしょく)は豈(あ)に陶人の性ならんや。工人は木を斲(き)りて器を生ず、然らば則ち器木(きぼく)は豈に工人の性ならんや。夫れ聖人の礼義に於けるや、辟(たと)うれば則ち陶埏(とうえん)して之を生ずるなり。然らば則ち礼義積偽なる者は、豈に人の本性ならんや。凡そ人の性なる者は、堯舜(ぎょうしゅん)の桀跖(けつせき)と与(とも)にする、其の性は一なり。君子の小人と与にする、其の性は一なり。今將に礼義積偽を以て人の性と為さんとするか。然らば則ち曷(なん)ぞ堯禹(ぎょうう)を貴び、曷ぞ君子を貴ぶこと有らんや。凡そ堯禹君子を貴ぶ者は、能く性を化し、能く偽を起こし、偽起こりて礼義を生ずればなり。然らば則ち聖人の礼義積偽に於けるや、亦(また)猶(なお)陶埏して之を為(つく)るがごときなり。此れを用て之を観れば、然らば則ち礼義積偽なる者は、豈に人の性ならんや。桀跖小人に賤(いや)しむ所の者は、其の性に從(したが)い、其の情に順い、恣睢(しき)に安んじ、以て貪利争奪に出づればなり。故に人の性の悪なるは明らかなり、其の善なる者は偽なり。天は曾騫(そうけん)孝己(こうき)を私(わたくし)して衆人を外(そと)にするに非ざるなり。然り而して曾騫孝己独り孝の実に厚くして、孝の名に全き者は、何ぞや。礼義に綦(きわ)むるを以ての故なり。天は斉魯(せいろ)の民を私して秦人(しんじん)を外にするに非ざるなり。然り而して父子の義、夫婦の別に於て、斉魯の孝具敬文(こうぐけいぶん)に如(し)かざる者は、何ぞや。秦人は情性に從い、恣睢に安んじ、礼義に慢(おこた)るを以ての故なり。豈に其の性異ならんや。
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荀子・正論篇故に君子は埶辱有るべきも、義辱有るべからず。小人は埶栄有るべきも、義栄有るべからず。埶辱有るも堯たるに害無く、埶栄有るも桀たるに害無し。義栄・埶栄は、唯だ君子にして然る後に兼ねて之を有す。義辱・埶辱は、唯だ小人にして然る後に兼ねて之を有す。是れ栄辱の分なり。聖王は以て法と為し、士大夫は以て道と為し、官人は以て守と為し、百姓は以て俗を成し、万世も易(か)うる能わざるなり。
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