荀子 / 性悪篇
故聖人化性而起偽,偽起而生禮義,禮義生而制法度;然則禮義法度者,是聖人之所生也。故聖人之所以同於眾,其不異於眾者,性也;所以異而過眾者,偽也。夫好利而欲得者,此人之情性也。假之有弟兄資財而分者,且順情性,好利而欲得,若是,則兄弟相拂奪矣;且化禮義之文理,若是,則讓乎國人矣。故順情性則弟兄爭矣,化禮義則讓乎國人矣。
新字:故聖人化性而起偽,偽起而生礼義,礼義生而制法度;然則礼義法度者,是聖人之所生也。故聖人之所以同於衆,其不異於衆者,性也;所以異而過衆者,偽也。夫好利而欲得者,此人之情性也。仮之有弟兄資財而分者,且順情性,好利而欲得,若是,則兄弟相払奪矣;且化礼義之文理,若是,則譲乎国人矣。故順情性則弟兄争矣,化礼義則譲乎国人矣。
書き下し
故に聖人は性を化して偽を起こし、偽起こりて礼義を生じ、礼義生じて法度を制す。然らば則ち礼義法度なる者は、是れ聖人の生ずる所なり。故に聖人の衆(しゅう)に同じき所以(ゆえん)、其の衆に異ならざる者は、性なり。異にして衆に過ぐる所以の者は、偽なり。夫れ利を好みて得んと欲する者は、此れ人の情性なり。之に仮(か)りに弟兄(ていけい)の資財ありて分かつ者有らんに、且(も)し情性に順い、利を好みて得んと欲せば、是(かく)の若くんば、則ち兄弟相(あい)拂奪(ふつだつ)せん。且し礼義の文理に化せば、是の若くんば、則ち国人にすら讓らん。故に情性に順えば則ち弟兄争い、礼義に化せば則ち国人に讓るなり。
現代語訳
だから聖人は、生まれつきの性を変化させて人為を立ち上げ、人為が立ち上がって礼義を生み、礼義が生まれて法制度を定めたのである。とすれば礼義や法度は、聖人が生み出したものである。だから、聖人が一般の人々と同じであり、少しも違わない部分、それは性である。人々と違い、人々を超えている部分、それは人為である。そもそも利益を好んで手に入れたいと思うのは、人の情性である。仮に、兄弟が財産を分けるという場面があったとしよう。もし情性のままに従い、利益を好んで手に入れようとすれば、兄弟は互いに奪い合うことになる。しかしもし礼義の筋道によって自分を変化させていれば、赤の他人にすら譲るようになる。だから情性のままに従えば兄弟でさえ争い、礼義によって自分を変えれば他人にさえ譲るのである。
解説
この章句が説くこと
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荀子・性悪篇問う者曰く、「人の性悪ならば、則ち礼義は悪(いず)くにか生ぜん」と。之に応じて曰く、凡そ礼義なる者は、是れ聖人の偽に生ずるものにして、故(もと)より人の性に生ずるに非ざるなり。故に陶人(とうじん)は埴(しょく)を埏(こ)ねて器を為(つく)る、然らば則ち器は陶人の偽に生じて、故より人の性に生ずるに非ざるなり。故に工人は木を斲(き)りて器を成す、然らば則ち器は工人の偽に生じて、故より人の性に生ずるに非ざるなり。聖人は思慮を積み、偽故(ぎこ)を習い、以て礼義を生じて法度を起こす。然らば則ち礼義法度なる者は、是れ聖人の偽に生じて、故より人の性に生ずるに非ざるなり。夫(か)の目の色を好み、耳の聴くを好み、口の味を好み、心の利を好み、骨体膚理(こったいふり)の愉佚(ゆいつ)を好むが若きは、是れ皆(みな)人の情性に生ずる者なり。感じて自然にして、事を待ちて後に之を生ずる者に非ざるなり。夫れ感じて然る能わず、必ず且(まさ)に事を待ちて後に然る者、之を偽に生ずと謂う。是れ性と偽との生ずる所、其の同じからざるの徴(しるし)なり。
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荀子・性悪篇問う者曰く、「礼義積偽(せきぎ)なる者は、是れ人の性なり、故に聖人能く之を生ずるなり」と。之に応じて曰く、是れ然らず。夫れ陶人は埴を埏(こ)ねて瓦を生ず、然らば則ち瓦埴(がしょく)は豈(あ)に陶人の性ならんや。工人は木を斲(き)りて器を生ず、然らば則ち器木(きぼく)は豈に工人の性ならんや。夫れ聖人の礼義に於けるや、辟(たと)うれば則ち陶埏(とうえん)して之を生ずるなり。然らば則ち礼義積偽なる者は、豈に人の本性ならんや。凡そ人の性なる者は、堯舜(ぎょうしゅん)の桀跖(けつせき)と与(とも)にする、其の性は一なり。君子の小人と与にする、其の性は一なり。今將に礼義積偽を以て人の性と為さんとするか。然らば則ち曷(なん)ぞ堯禹(ぎょうう)を貴び、曷ぞ君子を貴ぶこと有らんや。凡そ堯禹君子を貴ぶ者は、能く性を化し、能く偽を起こし、偽起こりて礼義を生ずればなり。然らば則ち聖人の礼義積偽に於けるや、亦(また)猶(なお)陶埏して之を為(つく)るがごときなり。此れを用て之を観れば、然らば則ち礼義積偽なる者は、豈に人の性ならんや。桀跖小人に賤(いや)しむ所の者は、其の性に從(したが)い、其の情に順い、恣睢(しき)に安んじ、以て貪利争奪に出づればなり。故に人の性の悪なるは明らかなり、其の善なる者は偽なり。天は曾騫(そうけん)孝己(こうき)を私(わたくし)して衆人を外(そと)にするに非ざるなり。然り而して曾騫孝己独り孝の実に厚くして、孝の名に全き者は、何ぞや。礼義に綦(きわ)むるを以ての故なり。天は斉魯(せいろ)の民を私して秦人(しんじん)を外にするに非ざるなり。然り而して父子の義、夫婦の別に於て、斉魯の孝具敬文(こうぐけいぶん)に如(し)かざる者は、何ぞや。秦人は情性に從い、恣睢に安んじ、礼義に慢(おこた)るを以ての故なり。豈に其の性異ならんや。
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荀子・性悪篇人の性は悪にして、其の善なる者は偽(ぎ)なり。今(いま)人の性、生まれながらにして利を好むこと有り、是(これ)に順(したが)う、故に争奪生じて辞讓(じじょう)亡(ほろ)ぶ。生まれながらにして疾悪(しつお)すること有り、是に順う、故に残賊(ざんぞく)生じて忠信亡ぶ。生まれながらにして耳目の欲有り、声色(せいしょく)を好むこと有り、是に順う、故に淫乱(いんらん)生じて礼義文理(ぶんり)亡ぶ。然らば則ち人の性に從(したが)い、人の情に順わば、必ず争奪に出で、犯分乱理(はんぶんらんり)に合して、暴に帰す。故に必ず將(まさ)に師法(しほう)の化、礼義の道(みちび)き有りて、然る後に辞讓に出で、文理に合して、治に帰す。此れを用(もっ)て之を観れば、人の性の悪なるは明らかなり、其の善なる者は偽なり。
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荀子・性悪篇孟子曰く、「人の学ぶ者は、其の性善なればなり」と。曰く、是れ然らず。是れ人の性を知るに及ばずして、人の性偽(せいぎ)の分を察せざる者なり。凡そ性なる者は、天の就(な)せるなり。学ぶべからず、事とすべからず。礼義なる者は、聖人の生ずる所なり。人の学びて能くし、事として成す所の者なり。学ぶべからず、事とすべからずして人に在る者、之を性と謂う。学びて能くすべく、事として成すべくして人に在る者、之を偽と謂う。是れ性と偽との分なり。今人の性、目は以て見るべく、耳は以て聴くべし。夫(そ)の以て見るべきの明は目を離れず、以て聴くべきの聡は耳を離れず。目明らかにして耳聡きは、学ぶべからざること明らかなり。
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荀子・性悪篇故に枸木(こうぼく)は必ず將に檃栝(いんかつ)・烝矯(じょうきょう)を待ちて然る後に直(なお)からんとす。鈍金(どんきん)は必ず將に礱厲(ろうれい)を待ちて然る後に利(と)からんとす。今人の性は悪なれば、必ず將に師法を待ちて然る後に正しく、礼義を得て然る後に治まらんとす。今人に師法無ければ、則ち偏険(へんけん)にして正しからず、礼義無ければ、則ち悖乱(はいらん)して治まらず。古(いにしえ)の聖王は人の性の悪なるを以て、以て偏険にして正しからず、悖乱して治まらずと為(な)し、是を以て之が為に礼義を起こし、法度を制し、以て人の情性を矯飾(きょうしょく)して之を正し、以て人の情性を擾化(じょうか)して之を導くなり。始めて皆(みな)治に出で、道に合する者なり。今人の師法に化し、文学を積み、礼義を道(みちび)く者を君子と為し、性情を縱(ほしいまま)にし、恣睢(しき)に安んじて、礼義に違う者を小人と為す。此れを用て之を観れば、人の性の悪なるは明らかなり、其の善なる者は偽なり。
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荀子・性悪篇孟子曰く、「今(いま)人の性は善なり、將(まさ)に皆(みな)其の性を失喪(しっそう)せんとするが故なり」と。曰く、是(かく)の若(ごと)くんば則ち過(あやま)てり。今人の性、生まれながらにして其の朴(ぼく)を離れ、其の資(し)を離るれば、必ず失いて之を喪(うしな)わん。此れを用て之を観れば、然らば則ち人の性の悪なるは明らかなり。所謂(いわゆる)性善なる者は、其の朴を離れずして之を美とし、其の資を離れずして之を利とするなり。夫の資朴の美に於(お)ける、心意の善に於けるをして、夫の以て見るべきの明の目を離れず、以て聴くべきの聡の耳を離れざるが若くならしめん、故に目明らかにして耳聡しと曰うなり。今人の性、飢えては飽かんことを欲し、寒くしては煖(あたた)かならんことを欲し、労しては休まんことを欲す。此れ人の情性なり。今人、長(ちょう)を見て敢えて先に食らわざる者は、將に讓る所有らんとすればなり。労して敢えて息(いこ)わんことを求めざる者は、將に代わる所有らんとすればなり。夫れ子の父に讓り、弟の兄に讓り、子の父に代わり、弟の兄に代わる、此の二行なる者は、皆(みな)性に反(そむ)きて情に悖(もと)るなり。然り而(しこ)うして孝子の道、礼義の文理なり。故に情性に順えば則ち辞讓せず、辞讓すれば則ち情性に悖る。此れを用て之を観れば、人の性の悪なるは明らかなり、其の善なる者は偽なり。
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