荀子 / 正名篇
心平愉,則色不及傭而可以養目,聲不及傭而可以養耳,蔬食菜羹而可以養口,麤布之衣,麤紃之履,而可以養體。局室、蘆簾、稿蓐、敝机筵,而可以養形。故雖無萬物之美而可以養樂,無埶列之位而可以養名。如是而加天下焉,其為天下多,其私樂少矣。夫是之謂重己役物。
新字:心平愉,則色不及傭而可以養目,声不及傭而可以養耳,蔬食菜羹而可以養口,麤布之衣,麤紃之履,而可以養体。局室、蘆簾、稿蓐、敝机筵,而可以養形。故雖無万物之美而可以養楽,無埶列之位而可以養名。如是而加天下焉,其為天下多,其私楽少矣。夫是之謂重己役物。
書き下し
心平らかに愉しければ、則ち色の傭に及ばざるも以て目を養うべく、声の傭に及ばざるも以て耳を養うべく、蔬食菜羹も以て口を養うべく、麤布の衣、麤紃の履も、以て体を養うべし。局室・蘆簾・稿蓐・敝れたる机筵も、以て形を養うべし。故に万物の美無しと雖も以て楽を養うべく、埶列の位無くとも以て名を養うべし。是くの如くして之に天下を加うれば、其の天下の為にすること多くして、其の私楽は少なし。夫れ是を之れ己を重んじて物を役すと謂う。
現代語訳
心が平静で楽しんでいれば、人並みに及ばない色つやでも目を養うことができ、人並みに及ばない音でも耳を養うことができ、粗末な食事と野菜の吸い物でも口を養うことができ、粗い布の衣、粗い緒の履き物でも体を養うことができる。狭い部屋、葦のすだれ、藁の敷物、壊れかけた机や敷物でも、体を養うことができる。だから、万物の美しいものが無くても楽しみを養うことができ、高い地位が無くても名を養うことができる。このような人物に天下を任せれば、天下のために尽くすことが多く、自分の私的な楽しみは少ない。これを、自分自身を重んじて物を使いこなす、というのである。
解説
前段の「己を以て物の役と為す」と正反対の生き方を示す段です。心が平らかで楽しければ、粗末な食事も、粗い衣も、狭い部屋も、それで十分に体と心を養える。逆に心が乱れていれば、どれほど贅沢を尽くしても満たされません。楽しみは物の量ではなく、心の状態から生まれる。これが荀子の見立てです。そして荀子は、こういう人物こそ天下を任せるにふさわしいと言います。私的な楽しみが少ない分、その力を公のために使えるからです。この生き方を「己を重んじて物を役す」、すなわち自分を主人にして、物を道具として使いこなす、と呼びます。持ち物や肩書に自分を合わせるのか、自分を軸にして持ち物を使うのか。この一線が、暮らしの質を静かに分けていきます。