荀子 / 正名篇
有嘗試深觀其隱而難者:志輕理而不重物者,無之有也;外重物而不內憂者,無之有也;行離理而不外危者,無之有也;外危而不內恐者,無之有也。心憂恐,則口銜芻豢而不知其味,耳聽鐘鼓而不知其聲,目視黼黻而不知其狀,輕煖平簟而體不知其安。故嚮萬物之美而不能嗛也。假而得間而嗛之,則不能離也。故嚮萬物之美而盛憂,兼萬物之美而盛害,如此者,其求物也,養生也?粥壽也?故欲養其欲而縱其情,欲養其性而危其形,欲養其樂而攻其心,欲養其名而亂其行,如此者,雖封侯稱君,其與夫盜無以異;乘軒戴絻,其與無足無以異。夫是之謂以己為物役矣。
新字:有嘗試深観其隠而難者:志輕理而不重物者,無之有也;外重物而不內憂者,無之有也;行離理而不外危者,無之有也;外危而不內恐者,無之有也。心憂恐,則口銜芻豢而不知其味,耳聴鐘鼓而不知其声,目視黼黻而不知其状,輕煖平簟而体不知其安。故嚮万物之美而不能嗛也。仮而得間而嗛之,則不能離也。故嚮万物之美而盛憂,兼万物之美而盛害,如此者,其求物也,養生也?粥寿也?故欲養其欲而縦其情,欲養其性而危其形,欲養其楽而攻其心,欲養其名而乱其行,如此者,雖封侯稱君,其与夫盗無以異;乗軒戴絻,其与無足無以異。夫是之謂以己為物役矣。
書き下し
嘗試みに深く其の隠れて難き者を観ん。志理を軽んじて物を重んぜざる者は、之れ有ること無し。外物を重んじて内憂えざる者は、之れ有ること無し。行い理を離れて外危うからざる者は、之れ有ること無し。外危うくして内恐れざる者は、之れ有ること無し。心憂え恐るれば、則ち口に芻豢を銜みて其の味を知らず、耳に鐘鼓を聴きて其の声を知らず、目に黼黻を視て其の状を知らず、軽煖平簟にして体其の安きを知らず。故に万物の美に嚮かうも嗛る能わざるなり。仮に間を得て之を嗛るとも、則ち離るる能わざるなり。故に万物の美に嚮かいて憂え盛んに、万物の美を兼ねて害盛んなり。此くの如き者は、其の物を求むるや、生を養うか、寿を粥るか。故に其の欲を養わんと欲して其の情を縦にし、其の性を養わんと欲して其の形を危うくし、其の楽を養わんと欲して其の心を攻め、其の名を養わんと欲して其の行を乱す。此くの如き者は、侯に封ぜられ君と称せらると雖も、其れ夫の盗と異なる無し。軒に乗り絻を戴くと雖も、其れ足無き者と異なる無し。夫れ是を之れ己を以て物の役と為すと謂う。
現代語訳
試みに、その奥深く隠れていて分かりにくいところをよく観察してみよう。心の中で道理を軽んじていながら、外の物を重んじないという者はいない。外の物を重んじていながら、内心に憂いを抱かない者はいない。行いが道理から外れていながら、外に危険が及ばない者はいない。外に危険がありながら、内心に恐れを抱かない者はいない。心が憂え恐れていれば、口に上等の肉をふくんでもその味が分からず、耳に鐘や太鼓の音を聞いてもその音色が分からず、目に美しい刺繍の模様を見てもその形が分からず、軽く暖かい衣を着てよい敷物に座っても、体はその心地よさが分からない。だから、万物の美しいものに向き合っても、満ち足りることができない。たまたま束の間の満足を得たとしても、憂いから離れることはできない。だから、万物の美しいものに向き合いながら憂いはいよいよ深まり、万物の美しいものを兼ね持ちながら害はいよいよ増していく。このような者が物を求めるのは、命を養っているのか、それとも寿命を売り払っているのか。自分の欲を養おうとして情のままに振る舞い、自分の性を養おうとして体を危うくし、自分の楽しみを養おうとして心を痛めつけ、自分の名声を養おうとして行いを乱す。このような者は、諸侯に封ぜられ君と呼ばれても、あの盗賊と変わるところがない。立派な車に乗り、冠をかぶっても、足のない者と変わりがない。これを、自分自身を物の奴隷にする、というのである。