荀子 / 正名篇
然後隨而命之,同則同之,異則異之。單足以喻則單,單不足以喻則兼;單與兼無所相避則共;雖共不為害矣。知異實者之異名也,故使異實者莫不異名也,不可亂也,猶使同實者莫不同名也。
新字:然後随而命之,同則同之,異則異之。単足以喩則単,単不足以喩則兼;単与兼無所相避則共;雖共不為害矣。知異実者之異名也,故使異実者莫不異名也,不可乱也,猶使同実者莫不同名也。
書き下し
然る後に随いて之に命づく。同じければ則ち之を同じくし、異なれば則ち之を異にす。単にして以て喩すに足れば則ち単にし、単にして以て喩すに足らざれば則ち兼ぬ。単と兼と相避くる所無ければ則ち共にす。共にすと雖も害を為さざるなり。実を異にする者は其の名を異にするを知る、故に実を異にする者をして名を異にせざる莫からしむ。乱るべからざるなり、猶お実を同じくする者をして名を同じくせざる莫からしむるがごとし。
現代語訳
そうしたうえで、対象に従って名をつける。同じものは同じ名にし、異なるものは異なる名にする。一字の単名で十分に伝わるならば単名を用い、単名では足りなければ語を組み合わせた兼名を用いる。単名と兼名が互いに衝突しないなら、両方を共通に用いてよい。共通に用いても差し支えはない。実体が異なるものは名も異ならせるべきだと知っているから、実体の異なるものにはすべて異なる名をつけさせる。これを取り違えて混乱させてはならない。それは、実体が同じものにはすべて同じ名をつけさせるのと同じ道理である。
解説
名づけの実務的なルールを述べた段です。原則は単純で、同じものには同じ名を、違うものには違う名を。そして、一語で伝わるなら一語で済ませ、足りなければ語を組み合わせて言い分ける。荀子はここで、言葉は通じることが目的であって、必要以上に複雑にする必要はないと示しています。実体が違うのに同じ名で呼べば混同が起き、実体が同じなのに別々の名で呼べば無用な対立が生まれる。日々の仕事でも、同じ作業を部署ごとに違う名前で呼んでいたり、まったく別のものを同じ略語でまとめてしまったりすることは珍しくありません。名前を整理するだけで、驚くほど話が通りやすくなります。この段は、その原則を思い出させてくれます。
この章句が説くこと
命名の原則単名と兼名同実同名異実異名正名名実
関連する章句
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呂氏春秋・審分⑥今、此に人有り、牛を求むるに則ち馬と名び、馬を求むるに則ち牛と名べば、求むる所必ず得ず。而るに因りて威怒を用うれば、有司必ず誹怨し、牛馬必ず擾亂す。百官は、衆有司なり。萬物は、群牛馬なり。其の名を正さず、其の職を分かたずして、數々刑罰を用うれば、亂焉より大なるは莫し。夫れ說くに智通を以てして實たすに遇悗を以てし、譽むるに高賢を以てして充つるに卑下を以てし、贊するに潔白を以てして隨うに汙德を以てし、任ずんるに公法を以てして處るに貪枉を以てし、用うるに勇敢を以てして堙つるに罷怯を以てす。此の五者は、皆牛を以て馬と為し、馬を以て牛と為す、名正しからざるなり。故に名正しからざれば、則ち人主、憂勞勤苦して、官職、煩亂悖逆す。國の亡ぶるや、名の傷わるるや、此れ從り生ず。之を白くせんとして顧って黑を益し、之を求めんとして愈々得ざるは、其れ此の義か。故に至治の務は、名を正すに在り。名正しければ則ち人主、憂勞せず。憂勞せざれば則ち其の耳目の主を傷わず。問いて詔げず、知りて為さず、和して矜らず、成して處らず。止まる者は行らしめず、行る者は止めず、形に因りて之に任ず。物に制せられず、肯て使と為ること無く、清靜にして以て公、神は六合に通じ、德は海外に耀き、意は無窮に觀れ、譽は無止に流る。此を之れ性を大湫に定むと謂う。之を命づけて無有と曰う。故に路を得て人を忘るれば、乃ち大いに人を得るなり、夫れ其れ道とするに非ずや。德を知り知を忘るれば、乃ち大いに知を得るなり。夫れ其れ德とするに非ずや。至知は幾せず、靜なれば乃ち幾を明らかにするなり。夫れ其れ明ならずや。大明は小事せず。假なれば乃ち事を理むるなり。夫れ其れ假ならずや。莫人は能くせず、全ければ乃ち能を備うるなり。夫れ其れ全からずや。是の故に全に於いては能を去り、假に於いては事を去り、知に於いては幾を去れば、知る所の者は妙たり。此くの若くなれば、則ち能く其の天に順い、意氣は寂寞の宇に游ぶことを得、形性は自然の所に安んずることを得。萬物を全くして宰せず、澤は天下を被いて、其の自りて始まる所を知ること莫し。五者を備えずと雖も、其の之を好む者は是なり。
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言志四録・言志晩録 第八十九条 名を顧みて実を責む凡そ士君子たる者は、今皆武士と称す。宜しく自ら其の名を顧みて以て其の実を責め、其の職を務めて以て其の名に副ふべし。
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『呻吟語』外篇・品藻・名實は形影の如し名實は形影の如し。實無きの名は、造物の忌む所にして、矯偽なる者は之を貪り、暗修なる者は之を避く。
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『洗心洞箚記』卷下・第六十六條韓昌黎曰く、名の存する所は、謗りの帰する所なりと。夫れ実徳有りて其の誉れ有り、実行有りて其の声有れば、則ち奚ぞ謗りを之れ招かん。如し爾云はば、則ち実徳無くして其の誉れ有り、実行無くして其の声有る者なり。謗りの至る、亦宜ならずや。故に許魯斎曰く、実無くして誉れを得、可ならんや。大誉は則ち大毀至り、小誉は則ち小毀至る、必然の理なり。惟だ聖賢誉れを得れば、則ち毀るべき所無し。大名の下処し難し、聖賢に在りては則ち是に異なり、処し難きこと無き者なり。実無くして名を得、故に処し難し。名は美器なり。造物者多く取ることを忌む。多く取ることを忌むに非ず、夫の実無くして名を得る者を忌むなりと。韓子は文を学びて道を窺ふ者、故に其の言彼の如し。許子は理学の名儒、故に其の言此の如し。虚名有る者は、宜しく韓子の言に鑑みて以て之を避くべし。実名無き者は、須らく許子の言に憤りて以て之を立つべし。
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