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荀子 / 正名篇

然則何緣而以同異?曰:緣天官。凡同類同情者,其天官之意物也同。故比方之疑似而通,是所以共其約名以相期也。形體、色理以目異;聲音清濁、調竽、奇聲以耳異;甘、苦、鹹、淡、辛、酸、奇味以口異;香、臭、芬、鬱、腥、臊、漏庮、奇臭以鼻異;疾、癢、凔、熱、滑、鈹、輕、重以形體異;說、故、喜、怒、哀、樂、愛、惡、欲以心異。心有徵知。徵知,則緣耳而知聲可也,緣目而知形可也。然而徵知必將待天官之當簿其類,然後可也。五官簿之而不知,心徵知而無說,則人莫不然謂之不知。此所緣而以同異也。

新字:然則何縁而以同異?曰:縁天官。凡同類同情者,其天官之意物也同。故比方之疑似而通,是所以共其約名以相期也。形体、色理以目異;声音清濁、調竽、奇声以耳異;甘、苦、鹹、淡、辛、酸、奇味以口異;香、臭、芬、鬱、腥、臊、漏庮、奇臭以鼻異;疾、癢、凔、熱、滑、鈹、輕、重以形体異;説、故、喜、怒、哀、楽、愛、悪、欲以心異。心有徴知。徴知,則縁耳而知声可也,縁目而知形可也。然而徴知必将待天官之当簿其類,然後可也。五官簿之而不知,心徴知而無説,則人莫不然謂之不知。此所縁而以同異也。

書き下し

然らば則ち何に縁りて以て同異せんや。曰く、天官に縁る。凡そ同類同情の者は、其の天官の物を意るや同じ。故に之を比方して疑似にして通ず。是れ其の約名を共にして以て相期する所以なり。形体・色理は目を以て異にし、声音の清濁・調竽・奇声は耳を以て異にし、甘・苦・鹹・淡・辛・酸・奇味は口を以て異にし、香・臭・芬・鬱・腥・臊・漏庮・奇臭は鼻を以て異にし、疾・癢・凔・熱・滑・鈹・軽・重は形体を以て異にし、説・故・喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲は心を以て異にす。心に徴知有り。徴知あれば、則ち耳に縁りて声を知るべきなり、目に縁りて形を知るべきなり。然り而して徴知は必ず将に天官の当に其の類を簿するを待ちて、然る後に可なり。五官之を簿して知らず、心徴知して説無くんば、則ち人之を不知と謂わざる莫し。此れ縁りて以て同異する所なり。

現代語訳

それでは、何にもとづいて同じ・異なるを分けるのか。答えは、感覚器官(天官)にもとづく、である。同じ種類で同じ情をもつ者は、その感覚器官が物を捉える仕方も同じである。だから、あるものと似た別のものを比べて、だいたい同じだと通じ合える。これこそ、共通の名の取り決めを共有して互いに意思を通わせられる理由である。形や色つやは目で区別し、音の清濁・調子・変わった音は耳で区別し、甘い・苦い・塩辛い・淡い・辛い・酸っぱい・変わった味は口で区別し、よい香り・臭み・かおり・むれた匂い・なまぐささ・腐臭などの変わった匂いは鼻で区別し、痛み・かゆみ・冷たさ・熱さ・なめらかさ・ざらつき・軽さ・重さは体で区別し、弁説・事の理由・喜び・怒り・悲しみ・楽しみ・愛・憎しみ・欲望は心で区別する。心には、照らし合わせて知る働き(徴知)がある。徴知があるから、耳を通じて音を知ることができ、目を通じて形を知ることができる。しかし徴知が働くためには、まず感覚器官がそれぞれ担当する種類の対象をきちんと受け取っていなければならない。五官が対象を受け取っても分からず、心が徴知しても説明がつかなければ、誰もがそれを「知らない」と言うだろう。これが、何にもとづいて同異を分けるのかということである。

解説

名づけの根拠はどこにあるのか、を突き詰めた段です。荀子の答えは「天官」、つまり目・耳・口・鼻・体という感覚器官にもとづく、というものでした。人間は同じ種類の生き物で、同じような感じ方をするから、同じものを見て同じように認識でき、だからこそ共通の名を取り決めることができる。ここが荀子の言語論の土台です。さらに心には「徴知」、すなわち感覚が受け取った情報を照らし合わせて意味づける働きがあります。ただし徴知だけでは足りず、まず五官が対象をきちんと受け取っていなければ知は成立しません。頭の中の理屈だけで決めつけず、現場で見て、聞いて、触れる。そのうえで心で照合し、言葉にして説明できて初めて「知っている」と言える。荀子の知識論は、驚くほど実務的です。

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