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荀子 / 正名篇

散名之在人者:生之所以然者謂之性;性之和所生,精合感應,不事而自然謂之性。性之好、惡、喜、怒、哀、樂謂之情。情然而心為之擇謂之慮。心慮而能為之動謂之偽;慮積焉,能習焉,而後成謂之偽。正利而為謂之事。正義而為謂之行。所以知之在人者謂之知;知有所合謂之智。所以能之在人者謂之能;能有所合謂之能。性傷謂之病。節遇謂之命:是散名之在人者也,是後王之成名也。

新字:散名之在人者:生之所以然者謂之性;性之和所生,精合感応,不事而自然謂之性。性之好、悪、喜、怒、哀、楽謂之情。情然而心為之択謂之慮。心慮而能為之動謂之偽;慮積焉,能習焉,而後成謂之偽。正利而為謂之事。正義而為謂之行。所以知之在人者謂之知;知有所合謂之智。所以能之在人者謂之能;能有所合謂之能。性傷謂之病。節遇謂之命:是散名之在人者也,是後王之成名也。

書き下し

散名の人に在る者は、生の然る所以の者、之を性と謂う。性の和より生ずる所、精合し感応し、事とせずして自然なる、之を性と謂う。性の好・悪・喜・怒・哀・楽、之を情と謂う。情然りて心之が為に択ぶ、之を慮と謂う。心慮りて能之が為に動く、之を偽と謂う。慮焉に積み、能焉に習いて、而る後に成る、之を偽と謂う。利を正して為す、之を事と謂う。義を正して為す、之を行と謂う。之を知る所以の人に在る者、之を知と謂い、知に合う所有る、之を智と謂う。之を能くする所以の人に在る者、之を能と謂い、能に合う所有る、之を能と謂う。性の傷なわるる、之を病と謂う。節遇、之を命と謂う。是れ散名の人に在る者なり、是れ後王の成名なり。

現代語訳

人間に関するこまごまとした名称について言えば、生まれつきそうなっている根拠となるもの、それを「性」という。性の調和から生じ、精気が感じ合って反応し、意識してそうするのでなく自然にそうなるもの、これも「性」という。性のうちの好み・嫌悪・喜び・怒り・悲しみ・楽しみを「情」という。情がそのように動いたとき、心がそれについて選択を加えることを「慮」という。心が思慮し、その働きが実際の行動となって現れるのを「偽(人為)」という。思慮を積み重ね、能力を習熟させて、そのうえで完成するものも「偽」という。利益を正しく求めて行うことを「事」という。道義を正しく踏まえて行うことを「行」という。人が物事を知る根拠となる働きを「知」といい、その知が対象に適合したものを「智」という。人が物事をなしうる根拠となる働きを「能」といい、その能が対象に適合したものを「能(才能)」という。生まれつきの性が損なわれることを「病」という。たまたま出会う巡り合わせを「命」という。これが人に関するこまごまとした名称であり、後王が定めた名称である。

解説

荀子が自分の思想の基本用語を、一つずつ定義していく段です。ここで押さえたいのは「性」と「偽」の区別です。性とは生まれつき自然にそなわっているもの、偽とは思慮を積み、訓練を重ねてつくり上げた人為のことで、荀子の言う「偽」は嘘という意味ではありません。感情(情)が動き、心がそれを選び(慮)、その選択が行動として積み重なって人柄が完成する、という順序で人間を捉えているのが特徴です。議論の前に語の定義をそろえるという態度そのものが、荀子の学問の強みでもあります。私たちの仕事でも、「品質」「成果」「リスク」といった言葉の意味が人によってずれたまま議論が進むと、話は永遠にかみ合いません。まず言葉を定義する。地味ですが、これが荀子の実直な出発点です。

この一句を、あなたの毎日に。

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