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荀子 / 解蔽篇

為之無益於成也,求之無益於得也,憂戚之無益於幾也,則廣焉能棄之矣,不以自妨也,不少頃干之胸中。不慕往,不閔來,無邑憐之心,當時則動,物至而應,事起而辨,治亂可否,昭然明矣。

新字:為之無益於成也,求之無益於得也,憂戚之無益於幾也,則広焉能棄之矣,不以自妨也,不少頃干之胸中。不慕往,不閔来,無邑憐之心,当時則動,物至而応,事起而辨,治乱可否,昭然明矣。

書き下し

之を為すも成るに益無く、之を求むるも得るに益無く、之を憂戚するも幾に益無くば、則ち広焉として能く之を棄てん。以て自ら妨げず、少頃も之を胸中に干さず。往を慕わず、来を閔えず、邑憐の心無し。時に当たれば則ち動き、物至れば而ち応じ、事起これば而ち辨ず。治乱可否、昭然として明らかなり。

現代語訳

やってみたところで成し遂げるのに役立たず、求めたところで得るのに役立たず、思い悩んだところで近づくのに役立たないのなら、心を広くもって、さっぱりと捨ててしまえばよい。そんなことで自分の邪魔をせず、ほんのわずかの間も胸の中にとどめておかない。過ぎ去ったことを恋しがらず、まだ来ないことを心配せず、ふさぎこんで自分を憐れむ心を持たない。その時が来れば動き、物事がやって来れば応じ、事が起これば見きわめて処理する。そうすれば、治まるか乱れるか、良いか悪いかが、はっきりと明らかになる。

解説

短い一段ですが、心を覆うものを外した先にある境地を、生き方の言葉で描いています。荀子の基準は徹底して実際的です。やっても成らない、求めても得られない、悩んでも近づかない——それなら、さっぱり捨ててしまえ。そして「少頃も之を胸中に干さず」、ほんのわずかの間も胸に置いておかない、と言います。ここでいう「棄てる」は、投げやりになることではありません。心の容量を、動くべきときのために空けておくということです。だからこそ続けて、過去を恋しがらず、未来を心配せず、自分を憐れまない、と重ねます。この三つは、私たちの心を最も長く占領するものです。そこを空けたとき、心はどう働くか。「時に当たれば則ち動き、物至れば而ち応じ、事起これば而ち辨ず」。来たものに、来たときに、澄んだ頭で応じる。悩みを手放すことと、無責任になることは違います。手放すからこそ、目の前の一手が明晰になるのです。

この一句を、あなたの毎日に。

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