荀子 / 解蔽篇
凡觀物有疑,中心不定,則外物不清。吾慮不清,未可定然否也。冥冥而行者,見寢石以為伏虎也,見植林以為後人也:冥冥蔽其明也。醉者越百步之溝,以為蹞步之澮也;俯而出城門,以為小之閨也:酒亂其神也。厭目而視者,視一為兩;掩耳而聽者,聽漠漠而以為哅哅:埶亂其官也。故從山上望牛者若羊,而求羊者不下牽也:遠蔽其大也。從山下望木者,十仞之木若箸,而求箸者不上折也:高蔽其長也。水動而景搖,人不以定美惡:水埶玄也。瞽者仰視而不見星,人不以定有無:用精惑也。有人焉以此時定物,則世之愚者也。彼愚者之定物,以疑決疑,決必不當。夫苟不當,安能無過乎?
新字:凡観物有疑,中心不定,則外物不清。吾慮不清,未可定然否也。冥冥而行者,見寝石以為伏虎也,見植林以為後人也:冥冥蔽其明也。酔者越百歩之溝,以為蹞歩之澮也;俯而出城門,以為小之閨也:酒乱其神也。厭目而視者,視一為両;掩耳而聴者,聴漠漠而以為哅哅:埶乱其官也。故従山上望牛者若羊,而求羊者不下牽也:遠蔽其大也。従山下望木者,十仞之木若箸,而求箸者不上折也:高蔽其長也。水動而景揺,人不以定美悪:水埶玄也。瞽者仰視而不見星,人不以定有無:用精惑也。有人焉以此時定物,則世之愚者也。彼愚者之定物,以疑決疑,決必不当。夫苟不当,安能無過乎?
書き下し
凡そ物を観るに疑い有りて、中心定まらざれば、則ち外物清からず。吾が慮り清からざれば、未だ然否を定むべからざるなり。冥冥として行く者は、寝石を見て以て伏虎と為し、植林を見て以て後人と為す。冥冥、其の明を蔽えばなり。酔える者は百歩の溝を越ゆるに、以て蹞歩の澮と為し、俯して城門を出づるに、以て小さき閨と為す。酒、其の神を乱せばなり。目を厭して視る者は、一を視て両と為す。耳を掩いて聴く者は、漠漠たるを聴きて以て哅哅たりと為す。埶、其の官を乱せばなり。故に山上より牛を望めば羊の若し、而も羊を求むる者は下りて牽かざるなり。遠、其の大を蔽えばなり。山下より木を望めば、十仞の木も箸の若し、而も箸を求むる者は上りて折らざるなり。高、其の長を蔽えばなり。水動きて景揺らげば、人は以て美悪を定めず。水の埶、玄ければなり。瞽者は仰ぎ視て星を見ざるも、人は以て有無を定めず。精を用うるの惑えばなり。人有りて此の時を以て物を定むれば、則ち世の愚者なり。彼の愚者の物を定むるや、疑いを以て疑いを決す。決すること必ず当たらず。夫れ苟くも当たらずんば、安くんぞ能く過ち無からんや。
現代語訳
およそ物事を観察していて疑いが生じ、心の中が定まらなければ、外の物事もはっきりとは見えない。自分の思考が澄んでいなければ、まだそうかそうでないかを決めてはならない。暗闇の中を歩く者は、横たわった石を見て虎がうずくまっていると思い、立ち並ぶ木々を見て人が立っていると思う。暗さがその視力を覆っているからである。酔った者は、百歩もある溝を飛び越えようとして半歩の細溝と思い、身をかがめて城門をくぐりながら小さなくぐり戸と思う。酒がその精神を乱しているからである。目を押さえて見る者は、一つのものを二つに見る。耳をふさいで聴く者は、かすかな音を聴いてがやがやと騒がしいと思う。押さえつける力が感覚器官を乱しているからである。だから山の上から牛を見おろせば羊のように見えるが、羊を求める者は山を下りて牛を引いていったりはしない。遠さがその大きさを覆い隠しているからである。山の下から木を見上げれば、十仞もある大木が箸のように見えるが、箸を求める者は登っていってその木を折りはしない。高さがその長さを覆い隠しているからである。水が動いて映る影が揺れても、人はそれで美醜を決めたりはしない。水の勢いで映り方が暗くなっているからである。目の見えない者が空を仰いでも星が見えないが、人はそれで星の有無を決めたりはしない。感覚の働きが惑っているからである。もし、こうした条件のもとで物事を決めてしまう人がいれば、それは世の愚か者である。愚か者が物事を決めるやり方は、疑わしいもので疑わしいものを決めることだ。それでは決めても当たるはずがない。当たらないのなら、どうして過ちがないでいられようか。
解説
この章句が説くこと
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荀子・解蔽篇凡そ人の患いは、一曲に蔽われて、大理に闇きことなり。治まれば則ち経に復り、両つながら疑えば則ち惑う。天下に二道無く、聖人に両心無し。今、諸侯は政を異にし、百家は説を異にす。則ち必ず或いは是、或いは非、或いは治、或いは乱なり。乱国の君、乱家の人、此れ其の誠心、正を求めて以て自ら為さんとせざるは莫きなり。道に妒繆して、人其の迨ぶ所に誘わる。其の積む所を私して、唯だ其の悪を聞かんことを恐る。其の私する所に倚りて、以て異術を観て、唯だ其の美を聞かんことを恐る。是を以て治とは背き走ると雖も、而も己を是とすること輟めざるなり。豈に一曲に蔽われて、正しき求めを失うに非ずや。心、焉に使わずんば、則ち白黒前に在れども目は見えず、雷鼓側に在れども耳は聞こえず、況んや使う者に於いてをや。徳道の人は、乱国の君は之を上に非とし、乱家の人は之を下に非とす。豈に哀しからずや。
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荀子・解蔽篇故に蔽を為すは、欲も蔽と為り、悪も蔽と為り、始も蔽と為り、終も蔽と為り、遠も蔽と為り、近も蔽と為り、博も蔽と為り、浅も蔽と為り、古も蔽と為り、今も蔽と為る。凡そ万物、異なれば則ち相い蔽と為らざるは莫し。此れ心術の公患なり。
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『呻吟語』内篇・存心・疑ひを蓄ふる者は、真知を亂す久しく視れば則ち熟字も識らず、注視すれば則ち靜物も動くがごとし。乃ち知る、疑ひを蓄ふる者は真知を亂し、思ひ過ぐる者は正應に迷ふことを。
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荀子・解蔽篇聖人は心術の患いを知り、蔽塞の禍を見る。故に欲無く、悪無く、始無く、終無く、近無く、遠無く、博無く、浅無く、古無く、今無し。万物を兼ね陳ねて、中に衡を県く。是の故に衆異は相い蔽いて以て其の倫を乱すことを得ざるなり。
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荀子・解蔽篇之を為すも成るに益無く、之を求むるも得るに益無く、之を憂戚するも幾に益無くば、則ち広焉として能く之を棄てん。以て自ら妨げず、少頃も之を胸中に干さず。往を慕わず、来を閔えず、邑憐の心無し。時に当たれば則ち動き、物至れば而ち応じ、事起これば而ち辨ず。治乱可否、昭然として明らかなり。
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荀子・解蔽篇人は何を以て道を知る。曰く、心なり。心は何を以て知る。曰く、虚壱にして静なればなり。心は未だ嘗て臧せずんばあらざるなり、然り而して虚と謂う所の者有り。心は未だ嘗て両ならずんばあらざるなり、然り而して壱と謂う所の者有り。心は未だ嘗て動かずんばあらざるなり、然り而して静と謂う所の者有り。人は生まれながらにして知有り、知ありて志有り。志なる者は臧なり。然り而して虚と謂う所の者有り。已に臧する所を以て将に受けんとする所を害せざる、之を虚と謂う。心は生まれながらにして知有り、知ありて異有り。異なる者は、同時に兼ねて之を知るなり。同時に兼ねて之を知るは、両なり。然り而して一と謂う所の者有り。夫の一を以て此の一を害せざる、之を壱と謂う。心は臥すれば則ち夢み、偸なれば則ち自ら行き、之を使えば則ち謀る。故に心は未だ嘗て動かずんばあらざるなり。然り而して静と謂う所の者有り。夢劇を以て知を乱さざる、之を静と謂う。未だ道を得ずして道を求むる者には、之に虚壱にして静なれと謂う。之を作せば、則ち将に道を須つ者は虚なれば則ち入り、将に道に事うる者は壱なれば則ち尽くし、将に道を思う者は静なれば則ち察かなり。道を知りて察かに、道を知りて行う、道を体する者なり。虚壱にして静、之を大清明と謂う。万物は、形ありて見えざるは莫く、見えて論ぜられざるは莫く、論ぜられて其の位を失うは莫し。室に坐して四海を見、今に処りて久遠を論ず。万物を疏観して其の情を知り、治乱を参稽して其の度に通じ、天地を経緯して万物を材官し、大理を制割して宇宙裡まる。恢恢広広、孰か其の極を知らん。睪睪広広、孰か其の徳を知らん。涫涫紛紛、孰か其の形を知らん。明は日月に参わり、大は八極に満つ。夫れ是れを之れ大人と謂う。夫れ悪くんぞ蔽有らんや。
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