荀子 / 礼論篇
故三年以為隆,緦麻、小功以為殺,期、九月以為間。上取象於天,下取象於地,中取則於人,人所以群居和一之理盡矣。故三年之喪,人道之至文者也,夫是之謂至隆。是百王之所同也,古今之所一也。
新字:故三年以為隆,緦麻、小功以為殺,期、九月以為間。上取象於天,下取象於地,中取則於人,人所以群居和一之理尽矣。故三年之喪,人道之至文者也,夫是之謂至隆。是百王之所同也,古今之所一也。
書き下し
故に三年を以て隆と為し、緦麻・小功を以て殺と為し、期・九月を以て間と為す。上は象を天に取り、下は象を地に取り、中は則を人に取る。人の群居和一する所以の理、尽くせり。故に三年の喪は、人道の至文なる者なり。夫れ是れを至隆と謂ふ。是れ百王の同じき所なり、古今の一なる所なり。
現代語訳
そこで三年の喪を最も重いものとし、緦麻や小功といった軽い喪服を最も軽いものとし、一年や九か月をその中間に置く。上は天にかたどり、下は地にかたどり、中ほどは人に基準を取る。人々が群れて暮らし、和して一つになるための筋道は、これで尽くされている。だから三年の喪は、人の道の最も整った形であり、これを最上の重さという。これは代々の王に共通し、古今を通じて変わらないものである。
解説
喪の重さに段階をつけた段です。最も重い三年から、一年、九か月、そして緦麻や小功といった軽い喪服まで、関係の近さに応じた段階が並びます。この体系は天と地と人にかたどられている、と荀子は言います。天地の周期という誰にも共通する尺度に、人としての情の重さを重ね合わせて設計されたということです。段階があることの意味は小さくありません。すべてを同じ重さで扱えば、本当に近しい人への哀しみが薄まってしまいます。逆に区別があるからこそ、それぞれの関係にふさわしい態度が取れるのです。人が群れて和して暮らすための筋道はこれで尽きている、と荀子は言い切ります。私たちの時間も気持ちも有限で、すべてに同じ濃さで向き合うことはできません。関係の濃淡に応じて配分を変えることは、冷たさではなく、むしろ誠実さの形なのです。
この章句が説くこと
三年の喪緦麻と小功段階と等級天地人にかたどる
関連する章句
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荀子・礼論篇然らば則ち何を以て之を分かたんか。曰く、至親は期を以て断つ。是れ何ぞや。曰く、天地は則ち已に易はり、四時は則ち已に無く、其の宇中に在る者は更始せざるは莫し。故に先王案ち此れを以て之に象るなり。然らば則ち三年とは何ぞや。曰く、隆を加へ、案ち之を倍せしむ。故に再期なり。九月より以下は何ぞや。曰く、案ち及ばざらしむるなり。
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荀子・礼論篇三年の喪とは、何ぞや。曰く、情に称ひて文を立て、因りて以て群を飾り、親疎貴賎の節を別ちて、益損すべからざるなり。故に曰く、適く無く易へざるの術なり、と。
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荀子・礼論篇創の巨なる者は其の日久しく、痛の甚だしき者は其の癒ゆること遅し。三年の喪は、情に称ひて文を立て、至痛を極むと為す所以なり。斉衰・苴杖・居廬・食粥・席薪・枕塊は、至痛を飾ると為す所以なり。三年の喪は、二十五月にして畢はる。哀痛未だ尽きず、思慕未だ忘れざるも、然れども礼の是を以て之を断つ者は、豈に死を送るに已むこと有り、生に復するに節有るを以てにあらずや。
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礼記・三年問然らば則ち何を以て期に至るや。曰く、至親は期を以て断つ。是れ何ぞや。曰く、天地は則ち已に易(か)わり、四時は則ち已に変ず。其の天地の中に在る者、更始せざるは莫し。是を以て之に象るなり。然らば則ち何を以て三年なるや。曰く、隆を加うるのみ。焉(これ)をして之を倍せしむ、故に再期なり。九月由(よ)り以下は何ぞや。曰く、焉をして及ばざらしむるなり。故に三年以て隆と為し、緦・小功以て殺(さい)と為し、期・九月以て間と為す。上は象を天に取り、下は法を地に取り、中は則を人に取る。人の群居和一する所以の理尽くせり。故に三年の喪は、人道の至文なる者なり。夫れ是を之れ至隆と謂う。是れ百王の同じくする所、古今の一にする所なり。未だ其の由りて来たる所を知る者有らざるなり。孔子曰く、「子生まれて三年、然る後に父母の懐を免る」と。夫れ三年の喪は、天下の達喪なり。
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荀子・礼論篇喪礼の凡そは、変じて飾り、動きて遠ざかり、久しくして平らかなり。故に死の道たるや、飾らざれば則ち悪し、悪ければ則ち哀しまず。尒ければ則ち翫り、翫れば則ち厭き、厭けば則ち忘れ、忘るれば則ち敬せず。一朝にして其の厳親を喪ひて、而も之を送葬する所以の者、哀しまず敬せざれば、則ち禽獣に嫌たり。君子は之を恥づ。故に変じて飾るは、悪を滅する所以なり。動きて遠ざかるは、敬を遂ぐる所以なり。久しくして平らかなるは、生を優んずる所以なり。
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荀子・礼論篇礼なる者は、吉凶の相ひ厭さざるに謹む者なり。纊を紸きて息を聴くの時は、則ち夫の忠臣孝子も亦た其の閔ふべきを知る。然れども殯斂の具は、未だ求むること有らざるなり。涕を垂れて恐懼すれども、然れども生を幸ふの心未だ已まず、生を持つの事未だ輟めざるなり。卒はりて、然る後に之を作具す。故に備家と雖も必ず日を踰えて然る後に能く殯し、三日にして服を成す。然る後に遠き者に告ぐる者出で、物を備ふる者作る。故に殯は久しきも七十日を過ぎず、速やかなるも五十日を損らさず。是れ何ぞや。曰く、遠き者も至る可く、百求も得可く、百事も成る可ければなり。其の忠至れり、其の節大なり、其の文備はれり。然る後に月朝に日を卜し、月夕に宅を卜し、然る後に葬るなり。是の時に当たりてや、其の義止まらば、誰か之を行ふを得ん。其の義行はれば、誰か之を止むるを得ん。故に三月の葬は、其の貌、生を以て死者を設飾するなり。殆ど直だ死者を留めて以て生を安んずるに非ざるなり。是れ隆く思慕するの義を致すなり。
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