荀子 / 礼論篇
凡生天地之間者,有血氣之屬必有知,有知之屬莫不愛其類。今夫大鳥獸則失亡其群匹,越月踰時,則必反鉛;過故鄉,則必徘徊焉,鳴號焉,躑躅焉,踟躕焉,然後能去之也。小者是燕爵,猶有啁焦之頃焉,然後能去之。故有血氣之屬莫知於人,故人之於其親也,至死無窮。
新字:凡生天地之間者,有血気之属必有知,有知之属莫不愛其類。今夫大鳥獣則失亡其群匹,越月踰時,則必反鉛;過故鄉,則必徘徊焉,鳴号焉,躑躅焉,踟躕焉,然後能去之也。小者是燕爵,猶有啁焦之頃焉,然後能去之。故有血気之属莫知於人,故人之於其親也,至死無窮。
書き下し
凡そ天地の間に生ずる者は、血気有るの属は必ず知有り、知有るの属は其の類を愛せざるは莫し。今夫れ大なる鳥獣は、則ち其の群匹を失亡すれば、月を越え時を踰ゆれば、則ち必ず反鉛す。故郷を過ぐれば、則ち必ず焉に徘徊し、焉に鳴号し、焉に躑躅し、焉に踟躕し、然る後に能く之を去るなり。小なる者は是れ燕爵なるも、猶ほ啁焦の頃有りて、然る後に能く之を去る。故に血気有るの属、人より知なるは莫し。故に人の其の親に於けるや、死に至るまで窮まり無し。
現代語訳
およそ天地の間に生まれるもののうち、血の通う生き物には必ず心があり、心のあるものは、みな自分と同じ仲間を愛さずにはいられない。大きな鳥や獣は、群れや連れ合いを失うと、月をまたぎ季節が変わってからでも、必ずもとの場所へ戻ってくる。かつて過ごした土地を通れば、必ずそこをうろつき、鳴き叫び、足踏みし、ためらい、そうしてやっと立ち去ることができる。小さなツバメやスズメでさえ、しばらく鳴き騒ぐ時間があって、そうしてやっと立ち去る。血の通うもののうち、人ほど心の働きが深いものはない。だから人が親を思う気持ちは、死ぬまで尽きることがない。
解説
三年の喪がなぜ長いのかを、生き物の情から説き起こした段です。群れや連れ合いを失った鳥や獣は、季節が変わってももとの場所に戻り、鳴き、うろつき、ためらってからでなければ立ち去れない。小さなツバメやスズメでさえ、しばらくは鳴き騒ぎます。荀子はこの観察を踏まえて、心の働きが最も深い人間であれば、親を慕う気持ちが生涯尽きないのは当然だと言います。ここで大切なのは、喪の作法が机上の制度としてではなく、生き物としての自然な情に根ざしたものとして説明されている点です。悲しみは弱さでも不合理でもなく、愛着の裏返しにすぎません。大切なものを失ったとき、すぐに立ち直れないのはおかしなことではないのです。人を見送ったあと、気持ちの整理に時間がかかる自分を責める必要はない、と教えてくれます。