荀子 / 礼論篇
創巨者其日久,痛甚者其愈遲,三年之喪,稱情而立文,所以為至痛極也。齊衰、苴杖、居廬、食粥、席薪、枕塊,所以為至痛飾也。三年之喪,二十五月而畢,哀痛未盡,思慕未忘,然而禮以是斷之者,豈不以送死有已,復生有節也哉!
新字:創巨者其日久,痛甚者其愈遅,三年之喪,稱情而立文,所以為至痛極也。斉衰、苴杖、居廬、食粥、席薪、枕塊,所以為至痛飾也。三年之喪,二十五月而畢,哀痛未尽,思慕未忘,然而礼以是断之者,豈不以送死有已,復生有節也哉!
書き下し
創の巨なる者は其の日久しく、痛の甚だしき者は其の癒ゆること遅し。三年の喪は、情に称ひて文を立て、至痛を極むと為す所以なり。斉衰・苴杖・居廬・食粥・席薪・枕塊は、至痛を飾ると為す所以なり。三年の喪は、二十五月にして畢はる。哀痛未だ尽きず、思慕未だ忘れざるも、然れども礼の是を以て之を断つ者は、豈に死を送るに已むこと有り、生に復するに節有るを以てにあらずや。
現代語訳
傷が大きければ治るまでの日数は長く、痛みが激しければ癒えるのも遅い。三年の喪は、その情に見合った形を立てたものであり、この上ない痛みを表しきるためのものである。粗い麻の喪服を着け、麻の杖をつき、仮小屋に住み、粥をすすり、薪を敷いて眠り、土くれを枕とするのは、この上ない痛みを形にするためである。三年の喪は、二十五か月で終わる。哀しみはまだ尽きず、慕う心もまだ消えていない。それでも礼がここで区切りをつけるのは、死者を送ることにも終わりがあり、生きて日常に戻ることにも節度があるからではないか。
解説
悲しみの深さと喪の長さを重ね合わせた段です。大きな傷ほど治るのに時間がかかる。だから深い悲しみには長い喪が要る、というのが荀子の理屈です。粗い麻の喪服、麻の杖、仮小屋暮らし、粥、薪の寝床、土くれの枕。これらは苦行のためではなく、言葉にならない痛みを目に見える形にするための装置です。注目したいのは終わり方です。三年の喪といっても実際は二十五か月で終わる。荀子は正直に、それでも哀しみは尽きず、慕う心も消えてはいないと認めます。それでも区切るのは、送ることにも終わりがあり、生き直すことにも節度があるからだ、と言うのです。悲しみが消えたから終えるのではなく、区切りをつけるからこそ次に進める。この順序は、大きな喪失を抱えた人にとって、今も静かな支えになります。