荀子 / 礼論篇
喪禮者,以生者飾死者也,大象其生以送其死也。故事死如生,事亡如存,終始一也。始卒,沐浴、鬠體、飯唅,象生執也。不沐則濡櫛三律而止,不浴則濡巾三式而止。充耳而設瑱,飯以生稻,唅以槁骨,反生術矣。設褻衣,襲三稱,縉紳而無鉤帶矣。設掩面儇目,鬠而不冠笄矣。書其名,置於其重,則名不見而柩獨明矣。薦器:則冠有鍪而毋縰,罋廡虛而不實,有簟席而無床笫,木器不成斲,陶器不成物,薄器不成內,笙竽具而不和,琴瑟張而不均,輿藏而馬反,告不用也。具生器以適墓,象徙道也。略而不盡,貌而不功,趨輿而藏之,金革轡靷而不入,明不用也。象徙道,又明不用也,是皆所以重哀也。故生器文而不功,明器貌而不用。凡禮,事生,飾歡也;送死,飾哀也;祭祀,飾敬也;師旅,飾威也。是百王之所同,古今之所一也,未有知其所由來者也。故壙壟、其貌象室屋也;棺槨、其貌象版蓋斯象拂也;無帾絲歶縷翣,其貌以象菲帷幬尉也。抗折,其貌以象槾茨番閼也。故喪禮者,無他焉,明死生之義,送以哀敬,而終周藏也。故葬埋,敬藏其形也;祭祀,敬事其神也;其銘誄繫世,敬傳其名也。事生,飾始也;送死,飾終也;終始具,而孝子之事畢,聖人之道備矣。刻死而附生謂之墨,刻生而附死謂之惑,殺生而送死謂之賊。大象其生以送其死,使死生終始莫不稱宜而好善,是禮義之法式也,儒者是矣。
新字:喪礼者,以生者飾死者也,大象其生以送其死也。故事死如生,事亡如存,終始一也。始卒,沐浴、鬠体、飯唅,象生執也。不沐則濡櫛三律而止,不浴則濡巾三式而止。充耳而設瑱,飯以生稻,唅以槁骨,反生術矣。設褻衣,襲三稱,縉紳而無鉤帯矣。設掩面儇目,鬠而不冠笄矣。書其名,置於其重,則名不見而柩独明矣。薦器:則冠有鍪而毋縰,罋廡虚而不実,有簟席而無床笫,木器不成斲,陶器不成物,薄器不成內,笙竽具而不和,琴瑟張而不均,輿蔵而馬反,告不用也。具生器以適墓,象徙道也。略而不尽,貌而不功,趨輿而蔵之,金革轡靷而不入,明不用也。象徙道,又明不用也,是皆所以重哀也。故生器文而不功,明器貌而不用。凡礼,事生,飾歓也;送死,飾哀也;祭祀,飾敬也;師旅,飾威也。是百王之所同,古今之所一也,未有知其所由来者也。故壙壟、其貌象室屋也;棺槨、其貌象版蓋斯象払也;無帾絲歶縷翣,其貌以象菲帷幬尉也。抗折,其貌以象槾茨番閼也。故喪礼者,無他焉,明死生之義,送以哀敬,而終周蔵也。故葬埋,敬蔵其形也;祭祀,敬事其神也;其銘誄繫世,敬伝其名也。事生,飾始也;送死,飾終也;終始具,而孝子之事畢,聖人之道備矣。刻死而附生謂之墨,刻生而附死謂之惑,殺生而送死謂之賊。大象其生以送其死,使死生終始莫不稱宜而好善,是礼義之法式也,儒者是矣。
書き下し
喪礼なる者は、生者を以て死者を飾るなり。大いに其の生に象りて以て其の死を送るなり。故に死に事ふること生に事ふるが如く、亡に事ふること存するに事ふるが如し。終始一なり。始めて卒するや、沐浴・鬠体・飯唅は、生に象りて執るなり。沐せざれば則ち櫛を濡らして三律して止み、浴せざれば則ち巾を濡らして三式して止む。耳を充たして瑱を設け、飯するに生稲を以てし、唅ますに槁骨を以てするは、生の術に反するなり。褻衣を設け、襲すること三称、縉紳して鉤帯無し。掩面儇目を設け、鬠して冠笄せず。其の名を書して、其の重に置けば、則ち名見えずして柩独り明らかなり。薦器は、則ち冠に鍪有りて縰無く、罋廡は虚しくして実たず、簟席有りて床笫無く、木器は斲を成さず、陶器は物を成さず、薄器は内を成さず、笙竽は具はれども和せず、琴瑟は張れども均しからず、輿は蔵めて馬は反す。用ひざるを告ぐるなり。生器を具へて以て墓に適くは、徙る道に象るなり。略して尽くさず、貌のみにして功あらず、輿を趨めて之を蔵め、金革轡靷は入れず、用ひざるを明らかにするなり。徙る道に象り、又た用ひざるを明らかにするは、是れ皆な哀を重んずる所以なり。故に生器は文ありて功あらず、明器は貌ありて用ひず。凡そ礼は、生に事ふるは歓を飾るなり、死を送るは哀を飾るなり、祭祀は敬を飾るなり、師旅は威を飾るなり。是れ百王の同じき所、古今の一なる所なり。未だ其の由りて来たる所を知る者有らざるなり。故に壙壟は、其の貌室屋に象るなり。棺槨は、其の貌版蓋斯象拂に象るなり。無帾・絲歶・縷翣は、其の貌以て菲帷幬尉に象るなり。抗折は、其の貌以て槾茨番閼に象るなり。故に喪礼なる者は、他無し、死生の義を明らかにし、送るに哀敬を以てして、終に周く蔵むるなり。故に葬埋は、敬みて其の形を蔵むるなり。祭祀は、敬みて其の神に事ふるなり。其の銘誄繋世は、敬みて其の名を伝ふるなり。生に事ふるは始めを飾るなり、死を送るは終はりを飾るなり。終始具はりて、孝子の事畢はり、聖人の道備はる。死を刻して生に附するを墨と謂ひ、生を刻して死に附するを惑と謂ひ、生を殺して死を送るを賊と謂ふ。大いに其の生に象りて以て其の死を送り、死生終始をして称宜にして善を好まざる莫からしむるは、是れ礼義の法式なり。儒者は是なり。
現代語訳
喪礼とは、生きている者のありようによって死者を飾るものである。生前の姿になぞらえて、その死を送るのである。だから死者に仕えることは生者に仕えるようにし、亡き人に仕えることは、まだ在る人に仕えるようにする。始めと終わりは一貫している。息を引き取ったばかりのとき、髪や体を洗い、髪を結い、口に食物を含ませるのは、生前の世話になぞらえたものである。ただし実際には洗髪をせず、櫛を濡らして三度なでるだけで止め、入浴もさせず、手ぬぐいを濡らして三度ぬぐうだけで止める。耳に詰め物をあて、飯には生の稲を用い、口には干した貝を含ませる。これらは生者に対する作法とは逆になっている。肌着を着せ、衣を三そろい重ね、帯を垂らすが留め金は用いない。顔を覆い目を隠し、髪は結うが冠もかんざしもつけない。名を書いて位牌に置けば、その名は表に見えず、棺だけがはっきりと目に立つ。副える器物は、冠はあっても髪包みはなく、甕は空で満たされず、敷物はあっても寝台はない。木の器は削り上げず、土器は用をなさず、竹の器は中を仕上げない。笙や竽は形だけあって音が合わず、琴や瑟は弦を張っても調律していない。車は納めるが馬は返す。使わないことを示すためである。生前の器を持って墓へ行くのは、住まいを移す道行きになぞらえている。簡略にして完全にはせず、形だけで実用にならず、車をそのまま納め、金具や革や手綱は入れない。使わないとはっきり示すためである。移り住む道になぞらえ、また使わないと示す。どちらも哀しみを重んじるためである。だから生前の器は飾りはあっても実用にならず、副葬の器は形はあっても用いられない。およそ礼は、生きている人に仕えるときは喜びを飾り、死者を送るときは哀しみを飾り、祭祀では敬いを飾り、軍旅では威厳を飾る。これは代々の王に共通し、古今を通じて変わらない。その始まりがいつであったかを知る者はいない。墓室はその姿を家屋になぞらえ、棺は板や蓋になぞらえ、覆いや飾りの布は、すだれや帳やおおいになぞらえ、墓を覆う枠組みは、壁や屋根の造りになぞらえる。だから喪礼とは、ほかでもない、死と生の意味を明らかにし、哀しみと敬いをもって送り、最後に丁重に納めることである。埋葬は敬いをもってその体を納めることであり、祭祀は敬いをもってその霊に仕えることであり、墓誌や系譜は敬いをもってその名を伝えることである。生者に仕えるのは始めを飾ること、死者を送るのは終わりを飾ること。始めと終わりがそろってはじめて、孝子のつとめは終わり、聖人の道は完成する。死者への手当てを切り詰めて生者に回すのを墨といい、生者の暮らしを切り詰めて死者に回すのを惑といい、生きている者を殺して死者を送るのを賊という。生前の姿になぞらえて死を送り、死と生、始めと終わりのすべてがふさわしく整い、善へ向かうようにする。これこそ礼義の型であり、儒者のやり方である。