荀子 / 礼論篇
故情貌之變,足以別吉凶,明貴賤親疏之節,期止矣。外是,姦也;雖難,君子賤之。故量食而食之,量要而帶之,相高以毀瘠,是姦人之道,非禮義之文也,非孝子之情也,將以有為者也。故說豫、娩澤,憂戚、萃惡,是吉凶憂愉之情發於顏色者也。歌謠、謷笑、哭泣、諦號,是吉凶憂愉之情發於聲音者也。芻豢、稻梁、酒醴,餰鬻、魚肉、菽藿、酒漿,是吉凶憂愉之情發於食飲者也。卑絻、黼黻、文織,資麤、衰絰、菲繐、菅屨,是吉凶憂愉之情發於衣服者也。疏房、檖貌、越席、床笫、几筵,屬茨、倚廬、席薪、枕塊,是吉凶憂愉之情發於居處者也。兩情者,人生固有端焉。若夫斷之繼之,博之淺之,益之損之,類之盡之,盛之美之,使本末終始,莫不順比,足以為萬世則,則是禮也。非順孰脩為之君子,莫之能知也。
新字:故情貌之変,足以別吉凶,明貴賤親疏之節,期止矣。外是,姦也;雖難,君子賤之。故量食而食之,量要而帯之,相高以毀瘠,是姦人之道,非礼義之文也,非孝子之情也,将以有為者也。故説予、娩沢,憂戚、萃悪,是吉凶憂愉之情発於顔色者也。歌謡、謷笑、哭泣、諦号,是吉凶憂愉之情発於声音者也。芻豢、稲梁、酒醴,餰鬻、魚肉、菽藿、酒漿,是吉凶憂愉之情発於食飲者也。卑絻、黼黻、文織,資麤、衰絰、菲繐、菅屨,是吉凶憂愉之情発於衣服者也。疏房、檖貌、越席、床笫、几筵,属茨、倚廬、席薪、枕塊,是吉凶憂愉之情発於居処者也。両情者,人生固有端焉。若夫断之継之,博之浅之,益之損之,類之尽之,盛之美之,使本末終始,莫不順比,足以為万世則,則是礼也。非順孰脩為之君子,莫之能知也。
書き下し
故に情貌の変は、以て吉凶を別ち、貴賎親疎の節を明らかにするに足れば、期に止まる。是を外るるは、姦なり。難しと雖も、君子は之を賤しむ。故に食を量りて之を食らひ、要を量りて之を帯し、毀瘠を以て相ひ高しとするは、是れ姦人の道にして、礼義の文に非ざるなり、孝子の情に非ざるなり。将に以て為す有らんとする者なり。故に説豫・娩沢と、憂戚・萃悪とは、是れ吉凶憂愉の情の顔色に発する者なり。歌謡・謷笑と、哭泣・諦号とは、是れ吉凶憂愉の情の声音に発する者なり。芻豢・稲梁・酒醴と、餰鬻・魚肉・菽藿・酒漿とは、是れ吉凶憂愉の情の食飲に発する者なり。卑絻・黼黻・文織と、資麤・衰絰・菲繐・菅屨とは、是れ吉凶憂愉の情の衣服に発する者なり。疏房・檖貌・越席・床笫・几筵と、属茨・倚廬・席薪・枕塊とは、是れ吉凶憂愉の情の居処に発する者なり。両情なる者は、人生まれながらに固より端有り。若し夫れ之を断ち之を継ぎ、之を博くし之を浅くし、之を益し之を損し、之を類し之を尽くし、之を盛んにし之を美にして、本末終始をして順比せざる莫からしめ、以て万世の則と為すに足らしむるは、則ち是れ礼なり。順孰脩為の君子に非ざれば、之を能く知る莫きなり。
現代語訳
感情とその表れ方の変化は、吉事と凶事を区別し、身分の高下や親疎の別を明らかにするのに足りれば、そこで止めるべきである。それを越えるのは邪である。たとえどれほど難しい行いであっても、君子はそれを賤しむ。食事の量を測って減らし、腰まわりを測って帯を締め、やつれ具合を競って自分のほうが上だと誇る。これは邪な人間のやり方であって、礼義の表れでも、孝子の真情でもない。何かをたくらんでいる者のすることである。喜びに顔がほころび艶が出るのと、憂いにやつれて顔色が悪くなるのとは、吉凶や憂い喜びの情が顔色に表れたものである。歌や笑い声と、泣き声や叫び声とは、それが声に表れたものである。肉や上等な穀物や甘酒と、粥や魚肉や豆菜や薄い飲み物とは、それが飲食に表れたものである。礼冠や刺繍のある美しい織物と、粗い麻の喪服や粗末な履物とは、それが衣服に表れたものである。広い部屋や奥深い座敷、敷物や寝台や机や筵と、茅で葺いた仮小屋に薪を敷き土くれを枕とする暮らしとは、それが住まいに表れたものである。この二つの情は、人が生まれながらに持っている芽である。それを断ち、継ぎ、広げ、薄め、増やし、減らし、筋道を通して行き渡らせ、盛んにし美しくして、初めから終わりまですべてが調和し、万世の手本となるに足るようにしたもの、それが礼である。よく学び修めた君子でなければ、これを理解することはできない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
-
『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
-
『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
-
『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
-
『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
-
『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る