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荀子 / 礼論篇

禮者,以財物為用,以貴賤為文,以多少為異,以隆殺為要。文理繁,情用省,是禮之隆也。文理省,情用繁,是禮之殺也。文理情用相為內外表墨,並行而雜,是禮之中流也。故君子上致其隆,下盡其殺,而中處其中。步驟馳騁厲鶩不外是矣。是君子之壇宇宮廷也。人有是,士君子也;外是,民也;於是其中焉,方皇周挾,曲得其次序,是聖人也。故厚者,禮之積也;大者,禮之廣也;高者,禮之隆也;明者,禮之盡也。《詩》曰:「禮儀卒度,笑語卒獲。」此之謂也。

新字:礼者,以財物為用,以貴賤為文,以多少為異,以隆殺為要。文理繁,情用省,是礼之隆也。文理省,情用繁,是礼之殺也。文理情用相為內外表墨,並行而雑,是礼之中流也。故君子上致其隆,下尽其殺,而中処其中。歩驟馳騁厲鶩不外是矣。是君子之壇宇宮廷也。人有是,士君子也;外是,民也;於是其中焉,方皇周挟,曲得其次序,是聖人也。故厚者,礼之積也;大者,礼之広也;高者,礼之隆也;明者,礼之尽也。《詩》曰:「礼儀卒度,笑語卒獲。」此之謂也。

書き下し

礼なる者は、財物を以て用と為し、貴賎を以て文と為し、多少を以て異と為し、隆殺を以て要と為す。文理繁くして、情用省くは、是れ礼の隆なり。文理省きて、情用繁きは、是れ礼の殺なり。文理と情用と相ひ内外表裏を為し、並び行はれて雑はるは、是れ礼の中流なり。故に君子は上は其の隆を致し、下は其の殺を尽くし、而して中は其の中に処る。歩驟馳騁厲鶩も、是を外れず。是れ君子の壇宇宮廷なり。人是れ有らば、士君子なり。是を外るれば、民なり。是の中に於て、方皇周挾し、曲さに其の次序を得るは、是れ聖人なり。故に厚き者は礼の積なり、大なる者は礼の広なり、高き者は礼の隆なり、明なる者は礼の尽なり。詩に曰く、礼儀卒く度あり、笑語卒く獲る、と。此れの謂ひなり。

現代語訳

礼は財物を用い、身分の貴賎を飾りとし、数の多少で差をつけ、盛んにするか控えるかを要点とする。形式や飾りが多く、感情の表れが控えめなのは、礼を盛んにした姿である。形式を減らし、感情の表れが前面に出るのは、礼を控えめにした姿である。形式と感情とが内と外、表と裏をなし、ともに行われて溶け合っているのが、礼の中庸である。だから君子は、上は盛んにすべきところを盛んにし、下は控えるべきところを控え、その中間ではちょうど中庸に身を置く。ゆっくり歩くのも小走りも、駆けるのも走り抜けるのも、すべてこの範囲を出ない。これが君子の住まう敷地であり宮殿である。これを備えている人は士君子であり、これを外れた人はただの民である。この範囲の中を自在に行き来し、細かい順序まで残らずわきまえているのが聖人である。厚みとは礼の積み重ね、大きさとは礼の広がり、高さとは礼の盛んさ、明らかさとは礼の行き届きである。詩に、礼儀はことごとく法度にかない、笑いも語らいもことごとく的を得ている、とあるのは、このことをいう。

解説

礼には盛んにする(隆)と控える(殺)という二つの調節つまみがある、という段です。祝いの場のように形式を厚くして感情を抑える場面もあれば、喪の場のように形式を簡素にして感情をそのまま出す場面もあります。そのどちらにも偏らず、形式と感情が表と裏になって釣り合っている状態を、荀子は礼の中庸と呼びました。大切なのは、君子はこの幅の全体を自分の敷地としてわきまえ、場面に応じて濃淡を選べるという点です。いつも同じ形式、いつも同じ熱量では、かえって心は伝わりません。仕事でも、相手や場面によって言葉づかいや段取りの重さを変えられる人は信頼されます。祝いの席では形を尽くし、詫びの場面では飾りを削って気持ちを前に出す。その振れ幅を持ちながら、どちらにも行き過ぎない。濃くする場面とそぎ落とす場面を見分けられることが、荀子の言う中庸の実力なのです。

この一句を、あなたの毎日に。

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