荀子 / 礼論篇
禮豈不至矣哉!立隆以為極,而天下莫之能損益也。本末相順,終始相應,至文以有別,至察以有說,天下從之者治,不從者亂,從之者安,不從者危,從之者存,不從者亡,小人不能測也。
新字:礼豈不至矣哉!立隆以為極,而天下莫之能損益也。本末相順,終始相応,至文以有別,至察以有説,天下従之者治,不従者乱,従之者安,不従者危,従之者存,不従者亡,小人不能測也。
書き下し
礼は豈に至れるならずや。隆を立てて以て極と為し、而して天下之を損益すること能わざるなり。本末相順い、終始相応じ、至文にして以て別有り、至察にして以て説有り。天下之に従う者は治まり、従わざる者は乱る。之に従う者は安く、従わざる者は危うし。之に従う者は存し、従わざる者は亡ぶ。小人は測ること能わざるなり。
現代語訳
礼とは、なんと究極のものではないか。最高の基準を立ててそれを極みとし、天下の誰ひとりとしてこれを減らすことも増やすこともできない。根本と末端とが互いにかない、終わりと始まりとが互いに応じ、この上なく整った形でありながらそこには区別があり、この上なく明晰でありながらそこには説き明かす筋道がある。天下でこれに従う者は治まり、従わない者は乱れる。従う者は安らかであり、従わない者は危うい。従う者は存続し、従わない者は滅びる。取るに足りない小人には、その深さを推し量ることができないのである。
解説
礼をたたえる賛歌のような一段で、礼論篇の前半を締めくくる位置にあります。荀子はまず、礼が最高の基準として立てられており、誰もそれを増やしたり減らしたりできない絶対的なものだと言います。そのうえで礼の構造を、根本と末端がかない合い、終わりと始まりが応じ合い、極まって整いながらも区別があり、極まって明晰でありながら説き明かす筋道がある、と描き出します。整いすぎて融通が利かないのでもなく、明快すぎて浅いのでもない。全体が緊密につながっているのです。そして治乱、安危、存亡という三組の対句をたたみかけ、従うか否かがそのまま結果を分けると迫ります。私たちの組織にも、これを外したら崩れるという最後の一線があるはずです。それを曖昧にせず、増減させず、揺るがない極として置いておくこと。判断に迷ったときに立ち返れる一線を持つ人は強いのです。
この章句が説くこと
礼の極本末終始治乱安危存亡揺るがない基準礼人情
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。
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