荀子 / 礼論篇
禮有三本:天地者,生之本也;先祖者,類之本也;君師者,治之本也。無天地,惡生?無先祖,惡出?無君師,惡治?三者偏亡,焉無安人。故禮、上事天,下事地,尊先祖,而隆君師。是禮之三本也。
新字:礼有三本:天地者,生之本也;先祖者,類之本也;君師者,治之本也。無天地,悪生?無先祖,悪出?無君師,悪治?三者偏亡,焉無安人。故礼、上事天,下事地,尊先祖,而隆君師。是礼之三本也。
書き下し
礼に三本有り。天地なる者は生の本なり。先祖なる者は類の本なり。君師なる者は治の本なり。天地無くんば、悪くにか生まれん。先祖無くんば、悪くにか出でん。君師無くんば、悪くにか治まらん。三者偏に亡ければ、安んずる人無し。故に礼は、上は天に事え、下は地に事え、先祖を尊びて、君師を隆くす。是れ礼の三本なり。
現代語訳
礼には三つの根本がある。天地は命が生まれるもとであり、先祖はわが一族が続いてきたもとであり、君主と師は世が治まるもとである。天地がなければ、どこから命が生まれよう。先祖がなければ、どこから自分が出てこよう。君主と師がなければ、どうやって世が治まろう。この三つのどれか一つでも欠ければ、安らかに暮らせる人はいない。だから礼は、上は天に仕え、下は地に仕え、先祖を尊び、君主と師を高く敬うのである。これが礼の三つの根本である。
解説
礼が何に向かって捧げられるのかを、天地・先祖・君師という三つに整理した有名な一段です。天地は命そのものを生み出すもと、先祖は自分という存在が今ここにあるもと、君主と師は世の中の秩序が保たれるもと。荀子はこの三つのどれが欠けても人は安らかに暮らせないと断じ、だから礼は天に仕え地に仕え、先祖を尊び、君主と師を高く敬うのだと結びます。注目したいのは、師が君主と並べて根本に置かれている点です。学びを重んじる荀子らしい配置で、人を治めるものは力だけでなく教えでもある、という考えが表れています。私たちも、自分を今の場所に立たせている三つの根、すなわち自分を支える環境、受け継いできたもの、導いてくれた人を折にふれて数えてみるとよいでしょう。感謝の対象がはっきりすると、日々のふるまいにも芯が通ります。
この章句が説くこと
礼の三本天地・先祖・君師感謝の対象師を敬う孝人情
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