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荀子 / 礼論篇

故人苟生之為見,若者必死;苟利之為見,若者必害;苟怠惰偷懦之為安,若者必危;苟情說之為樂,若者必滅。故人一之於禮義,則兩得之矣;一之於情性,則兩喪之矣。故儒者將使人兩得之者也,墨者將使人兩喪之者也,是儒墨之分也。

新字:故人苟生之為見,若者必死;苟利之為見,若者必害;苟怠惰偷懦之為安,若者必危;苟情説之為楽,若者必滅。故人一之於礼義,則両得之矣;一之於情性,則両喪之矣。故儒者将使人両得之者也,墨者将使人両喪之者也,是儒墨之分也。

書き下し

故に人、苟くも生のみ之れ見ると為さば、若き者は必ず死す。苟くも利のみ之れ見ると為さば、若き者は必ず害あり。苟くも怠惰偸懦を之れ安しと為さば、若き者は必ず危うし。苟くも情説を之れ楽しと為さば、若き者は必ず滅ぶ。故に人、之を礼義に一にすれば、則ち両つながら之を得。之を情性に一にすれば、則ち両つながら之を喪う。故に儒者は将に人をして両つながら之を得しめんとする者なり、墨者は将に人をして両つながら之を喪わしめんとする者なり。是れ儒墨の分なり。

現代語訳

だから人が、ただ生き延びることばかりを見て動けば、そういう者はかならず死ぬ。ただ利益ばかりを見て動けば、かならず害を受ける。怠けて安逸をむさぼることを安らかさだと思えば、かならず危うくなる。感情のままの快楽を楽しみだと思えば、かならず身を滅ぼす。だから人が礼義ひとすじに身を統一すれば、生も利も両方とも得られる。感情や生まれつきの性のままに身を任せれば、両方とも失う。儒者とは人に両方を得させようとする者であり、墨者とは人に両方を失わせてしまう者である。これが儒家と墨家との分かれ目である。

解説

前の段の逆説を、生・利・安・楽の四つに広げた一段です。生きることだけを目的にすれば死に、利だけを追えば害に遭い、怠けを安らぎと呼べば危うくなり、感情のままの快を楽と呼べば身を滅ぼす。求めるものを直接つかみにいくほど、それは手から逃げていくという指摘です。ではどうするか。荀子は礼義に一にせよと言います。礼という筋道に自分を統一すれば、結果として求めていたものも義も両方が手に入り、逆に生まれつきの感情に身を委ねれば両方を失う。末尾で名指しされる墨者は、節約と実利を重んじた墨子の学派で、荀子は文化や形式を切り詰めるその立場が結局は人を貧しくすると見ていました。目標を直接追いかけるより、それを支える型を先に整える。仕事にも健康管理にも通じる発想です。

この一句を、あなたの毎日に。

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