荀子 / 礼論篇
故禮者養也。芻豢稻梁,五味調香,所以養口也;椒蘭芬苾,所以養鼻也;雕琢刻鏤,黼黻文章,所以養目也;鐘鼓管磬,琴瑟竽笙,所以養耳也;疏房檖貌,越席床笫几筵,所以養體也。故禮者養也。
新字:故礼者養也。芻豢稲梁,五味調香,所以養口也;椒蘭芬苾,所以養鼻也;雕琢刻鏤,黼黻文章,所以養目也;鐘鼓管磬,琴瑟竽笙,所以養耳也;疏房檖貌,越席床笫几筵,所以養体也。故礼者養也。
書き下し
故に礼なる者は養なり。芻豢稲梁、五味調香は、口を養う所以なり。椒蘭芬苾は、鼻を養う所以なり。雕琢刻鏤、黼黻文章は、目を養う所以なり。鐘鼓管磬、琴瑟竽笙は、耳を養う所以なり。疏房檖貌、越席・床笫・几筵は、体を養う所以なり。故に礼なる者は養なり。
現代語訳
だから礼とは養うことである。牛や羊、犬や豚の肉、米や粟、五つの味を調えた香り高い料理は、口を養うためのものである。山椒や蘭のかぐわしい香りは、鼻を養うためのものである。彫りや透かし彫り、美しい刺繍や色鮮やかな模様は、目を養うためのものである。鐘・太鼓・笛・磬、琴・瑟・竽・笙の調べは、耳を養うためのものである。風通しのよい部屋や奥まった座敷、蒲の敷物・寝台・脇息・むしろは、体を養うためのものである。だから礼とは養うことなのである。
解説
礼と聞くと窮屈な作法を思い浮かべがちですが、荀子はここで真っ向から、礼とは養うことだと言い切ります。しかも同じ一句を段の頭と終わりで二度くり返し、念を押しています。挙げられているのは口・鼻・目・耳・体という五つの感覚で、礼にともなう飲食も香りも装飾も音楽も住まいも、そのまま人間の感覚を満たし育てるためにある、という説明です。禁欲を説く教えではなく、欲を正しい形に乗せて満たす仕組み、それが荀子の礼です。前の段で述べた人の欲を養い求めに給すという言葉を、具体例で言い直した部分だと読むとわかりやすいでしょう。仕事の場でも、ルールや手順を我慢させるものとして説明すると人は動きませんが、これを守ればあなたの働きやすさが増えると示せれば納得が生まれます。制度は人を縛るためではなく養うためにある、という視点は今も有効です。
この章句が説くこと
礼は養なり五感を養う制度の目的欲を正しく満たす人情聖人
関連する章句
-
史記 礼書先王其の乱を悪む、故に礼義を制して以て人の欲を養ひ、人の求めを給し、欲をして物に窮せず、物をして欲に屈せざらしむ、二者相待ちて長ず、是れ礼の起こる所なり。故に礼とは養なり。稲粱五味は、口を養ふ所以なり。椒蘭芬茝は、鼻を養ふ所以なり。鐘鼓管弦は、耳を養ふ所以なり。刻鏤文章は、目を養ふ所以なり。疏房床笫几席は、体を養ふ所以なり。故に礼とは養なり。君子既に其の養を得て、又其の辨を好む。所謂辨とは、貴賤等有り、長少差有り、貧富軽重皆称有るなり。故に天子の大路越席は、体を養ふ所以なり。側に臭茝を載するは、鼻を養ふ所以なり。前に錯衡有るは、目を養ふ所以なり。和鸞の声、歩は武象に中り、驟は韶濩に中るは、耳を養ふ所以なり。龍旂九斿は、信を養ふ所以なり。寝兕持虎、鮫韅弥龍は、威を養ふ所以なり。故に大路の馬は、必ず信に至り教へに順ひ、然る後に之に乗る、安きを養ふ所以なり。孰か夫の士の死に出で節を要むるの生を養ふ所以なるを知らんや。孰か夫の費用を軽んずるの財を養ふ所以なるを知らんや。孰か夫の恭敬辞譲の安きを養ふ所以なるを知らんや。孰か夫の礼義文理の情を養ふ所以なるを知らんや。人苟も生を之れ見と為さば、若き者は必ず死せん。苟も利を之れ見と為さば、若き者は必ず害せられん。怠惰を之れ安しと為さば、若き者は必ず危ふからん。情勝るを之れ安しと為さば、若き者は必ず滅びん。故に聖人は之を礼義に一にすれば、則ち両つながら之を得。之を情性に一にすれば、則ち両つながら之を失ふ。故に儒者は将に人をして両つながら之を得しめんとする者なり、墨者は将に人をして両つながら之を失はしめんとする者なり。是れ儒墨の分なり。治辨の極なり、彊固の本なり、威行の道なり、功名の総なり。王公之に由るは、天下を一にし、諸侯を臣とする所以なり。之に由らざるは、社稷を捐つる所以なり。
-
荀子・礼論篇礼なる者は、長きを断ちて短きを続ぎ、余り有るを損し、足らざるを益し、愛敬の文を達し、而して行義の美を滋し成す者なり。故に文飾と麤悪、声楽と哭泣、恬愉と憂戚とは、是れ反するなり。然れども礼は兼ねて之を用ひ、時に挙げて代はる代はる御ふ。故に文飾・声楽・恬愉は、平を持して吉に奉ずる所以なり。麤悪・哭泣・憂戚は、険を持して凶に奉ずる所以なり。故に其の文飾を立つるや、窕冶に至らず。其の麤悪を立つるや、瘠棄に至らず。其の声楽・恬愉を立つるや、流淫・惰慢に至らず。其の哭泣・哀戚を立つるや、隘懾して生を傷るに至らず。是れ礼の中流なり。
-
荀子・修身篇扁く善なるの度、以て気を治め生を養なわば、則ち彭祖に後れ、以て身を脩め名を自らにせば、則ち堯・禹に配す。時に宜しくして通じ、利ありて以て窮に処る、礼信是れなり。凡そ血気・志意・知慮を用うるに、礼に由れば則ち治通し、礼に由らざれば則ち勃乱提僈す。食飲・衣服・居処・動静、礼に由れば則ち和節し、礼に由らざれば則ち触陥して疾を生ず。容貌・態度・進退・趨行、礼に由れば則ち雅なり、礼に由らざれば則ち夷固・僻違、庸衆にして野なり。故に人は礼無ければ則ち生きず、事は礼無ければ則ち成らず、国家は礼無ければ則ち寧からず。詩に曰く、「礼儀卒に度あり、笑語卒に獲たり」とは、此れを之れ謂うなり。
-
荀子・礼論篇礼は何に起こるか。曰く、人は生まれながらにして欲有り、欲して得ざれば、則ち求むること無き能わず。求めて度量分界無ければ、則ち争わざる能わず。争えば則ち乱れ、乱るれば則ち窮す。先王は其の乱るるを悪むなり、故に礼義を制して以て之を分かち、以て人の欲を養い、人の求めに給す。欲をして必ずしも物に窮せざらしめ、物をして必ずしも欲に屈せざらしむ。両者相持して長ず、是れ礼の起こる所なり。
-
荀子・礼論篇故に情貌の変は、以て吉凶を別ち、貴賎親疎の節を明らかにするに足れば、期に止まる。是を外るるは、姦なり。難しと雖も、君子は之を賤しむ。故に食を量りて之を食らひ、要を量りて之を帯し、毀瘠を以て相ひ高しとするは、是れ姦人の道にして、礼義の文に非ざるなり、孝子の情に非ざるなり。将に以て為す有らんとする者なり。故に説豫・娩沢と、憂戚・萃悪とは、是れ吉凶憂愉の情の顔色に発する者なり。歌謡・謷笑と、哭泣・諦号とは、是れ吉凶憂愉の情の声音に発する者なり。芻豢・稲梁・酒醴と、餰鬻・魚肉・菽藿・酒漿とは、是れ吉凶憂愉の情の食飲に発する者なり。卑絻・黼黻・文織と、資麤・衰絰・菲繐・菅屨とは、是れ吉凶憂愉の情の衣服に発する者なり。疏房・檖貌・越席・床笫・几筵と、属茨・倚廬・席薪・枕塊とは、是れ吉凶憂愉の情の居処に発する者なり。両情なる者は、人生まれながらに固より端有り。若し夫れ之を断ち之を継ぎ、之を博くし之を浅くし、之を益し之を損し、之を類し之を尽くし、之を盛んにし之を美にして、本末終始をして順比せざる莫からしめ、以て万世の則と為すに足らしむるは、則ち是れ礼なり。順孰脩為の君子に非ざれば、之を能く知る莫きなり。
-
荀子・礼論篇君子は既に其の養を得て、又た其の別を好む。曷をか別と謂う。曰く、貴賎に等有り、長幼に差有り、貧富軽重皆な称える有る者なり。故に天子の大路に越席あるは、体を養う所以なり。側らに睪芷を載するは、鼻を養う所以なり。前に錯衡有るは、目を養う所以なり。和鸞の声、歩は武象に中り、趨は韶護に中るは、耳を養う所以なり。龍旗九斿は、信を養う所以なり。寝兕持虎、蛟韅・糸末・弥龍は、威を養う所以なり。故に大路の馬は必ず信至り教順にして、然る後に之に乗るは、安を養う所以なり。孰か夫の死に出で節を要むるの生を養う所以なるを知らんや。孰か夫の費用を出だすの財を養う所以なるを知らんや。孰か夫の恭敬辞譲の安を養う所以なるを知らんや。孰か夫の礼義文理の情を養う所以なるを知らんや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る