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荀子 / 正論篇

子宋子曰:「人之情,欲寡,而皆以己之情,為欲多,是過也。」故率其群徒,辨其談說,明其譬稱,將使人知情之欲寡也。應之曰:然則亦以人之情為目不欲綦色,耳不欲綦聲,口不欲綦味,鼻不欲綦臭,形不欲綦佚;此五綦者,亦以人之情為不欲乎?曰:「人之情,欲是已。」曰:若是,則說必不行矣。以人之情為欲,此五綦者而不欲多,譬之,是猶以人之情為欲富貴而不欲貨也,好美而惡西施也。古之人為之不然。以人之情為欲多而不欲寡,故賞以富厚而罰以殺損也。是百王之所同也。故上賢祿天下,次賢祿一國,下賢祿田邑,愿愨之民完衣食。今子宋子以是之情為欲寡而不欲多也,然則先王以人之所不欲者賞,而以人之欲者罰邪?亂莫大焉。今子宋子嚴然而好說,聚人徒,立師學,成文典,然而說不免於以至治為至亂也,豈不過甚矣哉!

新字:子宋子曰:「人之情,欲寡,而皆以己之情,為欲多,是過也。」故率其群徒,辨其談説,明其譬稱,将使人知情之欲寡也。応之曰:然則亦以人之情為目不欲綦色,耳不欲綦声,口不欲綦味,鼻不欲綦臭,形不欲綦佚;此五綦者,亦以人之情為不欲乎?曰:「人之情,欲是已。」曰:若是,則説必不行矣。以人之情為欲,此五綦者而不欲多,譬之,是猶以人之情為欲富貴而不欲貨也,好美而悪西施也。古之人為之不然。以人之情為欲多而不欲寡,故賞以富厚而罰以殺損也。是百王之所同也。故上賢祿天下,次賢祿一国,下賢祿田邑,愿愨之民完衣食。今子宋子以是之情為欲寡而不欲多也,然則先王以人之所不欲者賞,而以人之欲者罰邪?乱莫大焉。今子宋子厳然而好説,聚人徒,立師學,成文典,然而説不免於以至治為至乱也,豈不過甚矣哉!

書き下し

子宋子曰く、「人の情、欲は寡(すく)なし。而るに皆な己の情を以て、欲多しと為すは、是れ過ちなり」と。故に其の群徒を率い、其の談説を辨じ、其の譬称を明らかにし、将に人をして情の欲寡なきを知らしめんとす。之に応じて曰く、然らば則ち亦た人の情を以て、目は綦色(きしょく)を欲せず、耳は綦声を欲せず、口は綦味を欲せず、鼻は綦臭を欲せず、形は綦佚(きいつ)を欲せずと為すか。此の五綦なる者、亦た人の情を以て欲せずと為すか。曰く、「人の情、是れを欲するのみ」と。曰く、是くの若くんば、則ち説必ず行われざらん。人の情を以て此の五綦なる者を欲すと為して、而も多きを欲せずとは、之を譬うるに、是れ猶お人の情を以て富貴を欲して而も貨を欲せずと為し、美を好みて西施を悪(にく)むがごときなり。古の人の之を為すは然らず。人の情を以て多きを欲して寡なきを欲せずと為す。故に賞するに富厚を以てして、罰するに殺損を以てす。是れ百王の同じき所なり。故に上賢は天下を禄とし、次賢は一国を禄とし、下賢は田邑を禄とし、愿愨(げんかく)の民は衣食を完(まっと)うす。今、子宋子は是の情を以て寡なきを欲して多きを欲せずと為すなり。然らば則ち先王は人の欲せざる所の者を以て賞して、人の欲する所の者を以て罰するか。乱は焉(これ)より大なるは莫し。今、子宋子は厳然として説を好み、人徒を聚(あつ)め、師学を立て、文典を成す。然り而して説は至治を以て至乱と為すを免れず。豈に過ぎたること甚だしからずや。

現代語訳

宋子先生は言う。「人の心の実際として、欲望はもともと少ないものである。それなのに人はみな、自分の心を欲望が多いものだと思い込んでいる。これは間違いだ」と。そこで彼は門下の者たちを引き連れ、論説を戦わせ、たとえを尽くして説き明かし、人々に「欲望はもともと少ないのだ」と分からせようとする。これに答えて言う。それでは君は、人の心の実際として、目は最高の色を求めず、耳は最高の音を求めず、口は最高の味を求めず、鼻は最高の香りを求めず、体は最高の安楽を求めない、とでも考えるのか。この五つの極みを、人の心は求めないと言うのか。宋子は答える。「人の心の実際として、それらは欲するのだ」と。そこで言う。そういうことなら、君の説は決して行われまい。人の心は五つの極みを求めると認めながら、しかも多くを求めはしないと言うのは、たとえて言えば、人の心は富貴を望みながら財貨は望まないと言い、美しいものを好みながら西施は嫌いだと言うようなものである。昔の人のやり方はそうではなかった。人の心は多くを求めるものであって、少なくてよいとは思わないものだと見たのである。だからこそ、豊かな富を与えることで賞し、それを削り取ることで罰した。これは代々の王に共通するやり方である。だから最上の賢者には天下を俸禄として与え、次の賢者には一国を、その次の賢者には田畑や町を俸禄として与え、まじめで実直な民には衣食が満ち足りるようにしたのだ。ところが今、宋子は人の心を、少なくてよいと思うもので、多くを求めないものだと見なす。ではいったい、いにしえの王たちは、人の欲しないもので賞し、人の欲するもので罰していたとでも言うのか。これほど大きな乱れはない。今、宋子はいかにも重々しく自説を好み、門人を集め、学派を立て、書物までまとめている。それでもその説は、この上ない治めを、この上ない乱れと取り違えることを免れない。これほど的外れなことがあろうか。

解説

宋子のもう一つの主張は、人の欲望はもともと少ない、多いと思うのは思い込みだ、というものです。彼は門人を率い、たとえを尽くしてこれを説いて回りました。荀子はまず、抽象的な争いを具体の場に引き下ろします。目は最高の色を、耳は最高の音を、口は最高の味を、鼻は最高の香りを、体は最高の安楽を求めない、と本当に言えるのか、と。宋子は、それらは欲すると認めます。その瞬間、欲は少ないという前提は自分の口から崩れます。求めておきながら多くは求めないというのは、富貴を望みながら財貨は要らないと言うようなものだ、と荀子は畳みかけます。そのうえで示すのが、いにしえの王たちのやり方です。人は多くを求めるものだと見たからこそ、豊かな俸禄で賞し、それを削ることで罰した。賞罰という政治の根幹は、人が欲を持つという事実の上に建てられているのです。人間観を誤れば、制度は根こそぎ狂います。人を動かす仕組みを考えるときは、理想からではなく、人の実際から始めることです。

この一句を、あなたの毎日に。

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