荀子 / 正論篇
故君子可以有埶辱,而不可以有義辱;小人可以有埶榮,而不可以有義榮。有埶辱無害為堯,有埶榮無害為桀。義榮埶榮,唯君子然後兼有之;義辱埶辱,唯小人然後兼有之。是榮辱之分也。聖王以為法,士大夫以為道,官人以為守,百姓以成俗,萬世不能易也。
新字:故君子可以有埶辱,而不可以有義辱;小人可以有埶栄,而不可以有義栄。有埶辱無害為堯,有埶栄無害為桀。義栄埶栄,唯君子然後兼有之;義辱埶辱,唯小人然後兼有之。是栄辱之分也。聖王以為法,士大夫以為道,官人以為守,百姓以成俗,万世不能易也。
書き下し
故に君子は埶辱有るべきも、義辱有るべからず。小人は埶栄有るべきも、義栄有るべからず。埶辱有るも堯たるに害無く、埶栄有るも桀たるに害無し。義栄・埶栄は、唯だ君子にして然る後に兼ねて之を有す。義辱・埶辱は、唯だ小人にして然る後に兼ねて之を有す。是れ栄辱の分なり。聖王は以て法と為し、士大夫は以て道と為し、官人は以て守と為し、百姓は以て俗を成し、万世も易(か)うる能わざるなり。
現代語訳
だから君子は、外からふりかかる勢辱を受けることはあっても、自分の内から生まれる義辱を負うことはない。小人は、外から与えられる勢栄を得ることはあっても、自分の内から生まれる義栄を持つことはない。勢辱を受けたところで、堯であることに何の妨げにもならないし、勢栄を得たところで、桀であることに変わりはない。義栄と勢栄をともに備えられるのは、君子だけである。義辱と勢辱をともに背負ってしまうのは、小人だけである。これが栄辱の区別である。聖王はこれを法とし、士大夫はこれを道とし、役人はこれを職務の拠り所とし、民はこれによって風俗を作りあげる。万世を経ても変えることのできないものである。
解説
この章句が説くこと
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荀子・正論篇是れ両端有り。義栄なる者有り、埶栄なる者有り。義辱なる者有り、埶辱なる者有り。志意脩まり、徳行厚く、知慮明らかなるは、是れ栄の中より出づる者なり、夫れ是れを之れ義栄と謂う。爵列尊く、貢禄厚く、形埶勝れ、上は天子諸侯と為り、下は卿相士大夫と為るは、是れ栄の外より至る者なり、夫れ是れを之れ埶栄と謂う。流淫汙僈(りゅういんおまん)、分を犯し理を乱し、驕暴貪利なるは、是れ辱の中より出づる者なり、夫れ是れを之れ義辱と謂う。詈侮捽搏(りぶそつはく)、捶笞臏脚(すいちひんきゃく)、斬断枯磔(ざんだんこたく)、藉靡后縛(せきびこうばく)は、是れ辱の外より至る者なり、夫れ是れを之れ埶辱と謂う。是れ栄辱の両端なり。
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荀子・栄辱篇材性知能は、君子も小人も一なり。栄を好み辱を悪(にく)み、利を好み害を悪むは、是れ君子小人の同じくする所なり。其の之を求むる所以の道の若きは則ち異なれり。小人なる者は、疾(つと)めて誕(たん)を為して人の己を信ぜんことを欲し、疾めて詐を為して人の己に親しまんことを欲し、禽獣の行いをして人の己を善しとせんことを欲す。之を慮るに知り難く、之を行うに安んじ難く、之を持するに立ち難し。成るも則ち必ず其の好む所を得ず、必ず其の悪む所に遇う。故に君子なる者は、信なり、而も亦た人の己を信ぜんことを欲す。忠なり、而も亦た人の己に親しまんことを欲す。脩正治辨(しゅうせいちべん)なり、而も亦た人の己を善しとせんことを欲す。之を慮るに知り易く、之を行うに安んじ易く、之を持するに立ち易し。成れば則ち必ず其の好む所を得、必ず其の悪む所に遇わず。是の故に窮すれども隠れず、通ずれば則ち大いに明らかに、身死して名は弥(いよいよ)白(あき)らかなり。小人は頸を延べ踵を挙げて願わざるは莫く、曰く「知慮材性、固より以て人に賢(まさ)る有り」と。夫れ其の己と異なる無きを知らざるなり。則ち君子は注錯(ちゅうそ)の当たり、而して小人は注錯の過つなり。故に孰(つらつ)ら小人の知能を察すれば、以て其の余り有りて、君子の為す所を為すべきを知るに足る。之を譬うれば越人は越に安んじ、楚人は楚に安んじ、君子は雅に安んずるがごとし。是れ知能材性の然らしむるに非ず、是れ注錯習俗の節の異なればなり。仁義徳行は、常に安きの術なり、然れども未だ必ずしも危うからずんばあらざるなり。汙僈(おまん)突盗は、常に危うきの術なり、然れども未だ必ずしも安からずんばあらざるなり。故に君子は其の常に道(よ)り、小人は其の怪に道るなり。
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『潜夫論』論榮所謂賢人君子とは、必ずしも高位厚禄富貴栄華の謂に非ざるなり。此れ則ち君子の宜しく有すべき所にして、其の君子たる所以に非ず。所謂小人とは、必ずしも貧賤凍餒困辱阨窮の謂に非ざるなり。此れ則ち小人の宜しく処るべき所にして、其の小人たる所以に非ず。奚を以て之を明らかにせんや。夫れ桀・紂は、夏・殷の君王なり、崇侯・悪来は、天子の三公なり。而るに猶お小人たるを免れざるは、其の心行の悪なるを以てなり。伯夷・叔齊は、餓夫なり、傅説・胥靡は、而も井臼に処る虜なり。然れども世猶お以て君子と為すは、志節の美なるを以てなり。故に士を論ずること苟くも志行に定まり、命に遭うを以てする勿れば、則ち天下を有つと雖も、以て重しと為すに足らず。用うる所無くとも、以て軽しと為すべからず。隷圉に処るも、以て恥と為すに足らず、四海を撫すも、以て栄と為すに足らず。況んや其の未だ能く相い懸たること此の若くならざる者をや。故に曰く、寵位は以て我を尊しとするに足らず、而して卑賤は以て己を卑しくするに足らず、と。夫れ令誉は我より興り、而して二命は天より之を降す。詩に云う、「天実に之を為す」と。之を何とか謂わん。故に君子は未だ必ずしも富貴ならず、小人は未だ必ずしも貧賤ならず。或いは潜龍未だ用いられず、或いは亢龍天に在り、古より然り。
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荀子・栄辱篇栄辱の大分、安危利害の常体。義を先にして利を後にする者は栄え、利を先にして義を後にする者は辱めらる。栄うる者は常に通じ、辱めらるる者は常に窮す。通ずる者は常に人を制し、窮する者は常に人に制せらる。是れ栄辱の大分なり。材愨(ざいかく)なる者は常に安利、蕩悍(とうかん)なる者は常に危害。安利なる者は常に楽易(らくい)、危害なる者は常に憂険(ゆうけん)。楽易なる者は常に寿長、憂険なる者は常に夭折す。是れ安危利害の常体なり。
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荀子・不苟篇君子は能なるも亦た好く、能ならざるも亦た好し。小人は能なるも亦た醜く、能ならざるも亦た醜し。君子は能なれば則ち寛容易直にして以て人を開道し、能ならざれば則ち恭敬繜絀にして以て人に畏れ事う。小人は能なれば則ち倨傲僻違にして以て人に驕溢し、能ならざれば則ち妒嫉怨誹にして以て人を傾覆す。故に曰く、君子は能なれば則ち人栄えて焉に学び、能ならざれば則ち人楽しみて之に告ぐ。小人は能なれば則ち人賤しみて焉に学び、能ならざれば則ち人之に告ぐるを羞ず、と。是れ君子と小人との分かれなり。
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荀子・栄辱篇夫れ天の蒸民(じょうみん)を生ずるや、以て之を取る所以(ゆえん)有り。志意致(きわ)めて脩まり、徳行致めて厚く、智慮致めて明らかなるは、是れ天子の天下を取る所以なり。政令法(のっと)り、挙措(きょそ)時に中(あた)り、聴断公にして、上は則ち能く天子の命に順(したが)い、下は則ち能く百姓を保つは、是れ諸侯の国家を取る所以なり。志行脩まり、官に臨みて治まり、上は則ち能く上に順い、下は則ち能く其の職を保つは、是れ士大夫の田邑を取る所以なり。法則・度量・刑辟(けいへき)・図籍に循(したが)い、其の義を知らずとも、謹みて其の数を守り、慎みて敢えて損益せず、父子相伝えて、以て王公を持(たも)つ。是の故に三代亡ぶと雖も、治法猶お存す。是れ官人百吏の禄職を取る所以なり。孝弟にして原愨(げんかく)、軥録(こうろく)疾力(しつりょく)、以て其の事業を敦比(とんぴ)して、敢えて怠傲せざるは、是れ庶人の煖衣飽食し、長生久視して、以て刑戮を免るるを取る所以なり。邪説を飾り、姦言を文(かざ)り、倚事を為し、陶誕(とうたん)突盗(とつとう)、惕悍(てきかん)憍暴にして、以て乱世の間に偸生(とうせい)反側するは、是れ姦人の危辱死刑を取る所以なり。其の慮の深からず、其の択ぶことの謹まず、其の取舎を定むること楛僈(こまん)なる、是れ其の危うき所以なり。
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