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荀子 / 正論篇

是有兩端矣。有義榮者,有埶榮者;有義辱者,有埶辱者。志意脩,德行厚,知慮明,是榮之由中出者也,夫是之謂義榮。爵列尊,貢祿厚,形埶勝,上為天子諸侯,下為卿相士大夫,是榮之從外至者也,夫是之謂埶榮。流淫汙僈,犯分亂理,驕暴貪利,是辱之由中出者也,夫是之謂義辱。詈侮捽搏,捶笞臏腳,斬斷枯磔,藉靡后縛,是辱之由外至者也,夫是之謂埶辱。是榮辱之兩端也。

新字:是有両端矣。有義栄者,有埶栄者;有義辱者,有埶辱者。志意脩,徳行厚,知慮明,是栄之由中出者也,夫是之謂義栄。爵列尊,貢祿厚,形埶勝,上為天子諸侯,下為卿相士大夫,是栄之従外至者也,夫是之謂埶栄。流淫汙僈,犯分乱理,驕暴貪利,是辱之由中出者也,夫是之謂義辱。詈侮捽搏,捶笞臏腳,斬断枯磔,藉靡后縛,是辱之由外至者也,夫是之謂埶辱。是栄辱之両端也。

書き下し

是れ両端有り。義栄なる者有り、埶栄なる者有り。義辱なる者有り、埶辱なる者有り。志意脩まり、徳行厚く、知慮明らかなるは、是れ栄の中より出づる者なり、夫れ是れを之れ義栄と謂う。爵列尊く、貢禄厚く、形埶勝れ、上は天子諸侯と為り、下は卿相士大夫と為るは、是れ栄の外より至る者なり、夫れ是れを之れ埶栄と謂う。流淫汙僈(りゅういんおまん)、分を犯し理を乱し、驕暴貪利なるは、是れ辱の中より出づる者なり、夫れ是れを之れ義辱と謂う。詈侮捽搏(りぶそつはく)、捶笞臏脚(すいちひんきゃく)、斬断枯磔(ざんだんこたく)、藉靡后縛(せきびこうばく)は、是れ辱の外より至る者なり、夫れ是れを之れ埶辱と謂う。是れ栄辱の両端なり。

現代語訳

この栄辱には二つの側面がある。義による栄えがあり、勢いによる栄えがある。義による辱めがあり、勢いによる辱めがある。志が修まり、徳の行いが厚く、知恵と思慮が明らかである、これは栄えが自分の内から出てくるものであって、これを義栄という。爵位が高く、俸禄が厚く、地位と勢いが人にまさり、上は天子や諸侯となり、下は卿相や士大夫となる、これは栄えが外から与えられるものであって、これを勢栄という。だらしなく汚れてしまりがなく、分をこえて道理を乱し、おごり高ぶって暴威をふるい利をむさぼる、これは辱めが自分の内から出てくるものであって、これを義辱という。罵られ侮られ、髪をつかまれ打たれ、鞭打たれ足を断たれ、切り刻まれ、縄で縛られる、これは辱めが外からやってくるものであって、これを勢辱という。これが栄辱の二つの側面である。

解説

荀子が立てた基準の中身が、ここで明かされます。栄えにも辱めにも、内から出てくるものと外からやってくるものの二種類があるというのです。義栄とは、志が整い、徳の行いが厚く、思慮が明らかであることから、自分の内側に生まれる栄えです。勢栄とは、爵位や俸禄や地位のように、外から与えられる栄えです。義辱とは、だらしなくふるまい、分をこえて道理を乱し、おごり貪ることから、自分の内側に生まれる辱めです。勢辱とは、罵られ、打たれ、刑罰を受けるといった、外からふりかかる辱めです。この線引きが決定的で、宋子が問題にしていた「侮られること」は勢辱にすぎず、義辱ではありません。私たちにも使える物差しです。評判、肩書き、待遇は外から来るもので、自分の手で決められません。決められるのは、内から生まれる方の栄えと辱めです。どちらを人生の軸に据えるかで、日々の選択は大きく変わります。

この一句を、あなたの毎日に。

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