荀子 / 正論篇
子宋子曰:「見侮不辱。」應之曰:凡議必先立隆正,然後可也。無隆正則是非不分,而辨訟不決,故所聞曰:「天下之大隆,是非之封界,分職名象之所起,王制是也。」故凡言議期命是非,以聖王為師。而聖王之分,榮辱是也。
新字:子宋子曰:「見侮不辱。」応之曰:凡議必先立隆正,然後可也。無隆正則是非不分,而弁訟不決,故所聞曰:「天下之大隆,是非之封界,分職名象之所起,王制是也。」故凡言議期命是非,以聖王為師。而聖王之分,栄辱是也。
書き下し
子宋子曰く、「侮らるるも辱ならず」と。之に応じて曰く、凡そ議は必ず先ず隆正を立て、然る後に可なり。隆正無ければ則ち是非分かれずして、辨訟決せず。故に聞く所に曰く、「天下の大隆、是非の封界、分職・名象の起こる所は、王制是れなり」と。故に凡そ言議・期命・是非は、聖王を以て師と為す。而して聖王の分は、栄辱是れなり。
現代語訳
宋子先生は言う。「侮辱を受けても、それは恥ではない」と。これに答えて言う。およそ議論というものは、必ずまず最高の基準を立て、そのうえで初めて成り立つ。基準がなければ正しいと正しくないの区別がつかず、争論はいつまでも決着しない。だから伝え聞くところではこう言う。「天下における最高の基準、是非を分ける境界線、職分や名目のよって立つところ、それが聖王の定めた制度である」と。だからおよそ議論を立て、言葉を定め、是非を判定するにあたっては、聖王を手本とするのだ。そして聖王の立てた区別とは、栄えと辱め、すなわち栄辱の区別である。
解説
宋子の主張が、もう一度、侮られても恥ではないという短い標語の形で置き直されます。先の段では、この説が争いをなくす手立てとして有効かどうかが問われました。ここからは論点が変わり、そもそもこの言葉自体が正しいのか、恥とは何なのかという中身の吟味に入ります。同じ主張でも、有効性を問うのと真偽を問うのとでは、検討の道筋がまるで違うのです。そこで荀子は、議論の方法そのものを語り出します。議論をするなら、まず隆正、つまり最高の基準を立てよ。基準がなければ是と非を分ける線が引けず、いくら論じても決着しません。その基準として荀子が置くのは聖王の定めた制度であり、今回の物差しは栄辱、何が栄えで何が辱めかという区別だと予告します。会議や交渉でも同じです。評価軸がずれたまま話し合えば、どちらも自分の物差しで正しく、話は終わりません。初めに判断の基準を言葉にして揃える。それだけで結論に届く速さが変わります。
この章句が説くこと
隆正栄辱議論の基準王制
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