荀子 / 正論篇
夫亂今然後反是。上以無法使,下以無度行;知者不得慮,能者不得治,賢者不得使。若是,則上失天性,下失地利,中失人和。故百事廢,財物詘,而禍亂起。王公則病不足於上,庶人則凍餧羸瘠於下。於是焉桀紂群居,而盜賊擊奪以危上矣。安禽獸行,虎狼貪,故脯巨人而炙嬰兒矣。若是則有何尤抇人之墓,抉人之口而求利矣哉!雖此裸而薶之,猶且必抇也,安得葬薶哉!彼乃將食其肉而齕其骨也。
新字:夫乱今然後反是。上以無法使,下以無度行;知者不得慮,能者不得治,賢者不得使。若是,則上失天性,下失地利,中失人和。故百事廃,財物詘,而禍乱起。王公則病不足於上,庶人則凍餧羸瘠於下。於是焉桀紂群居,而盗賊撃奪以危上矣。安禽獣行,虎狼貪,故脯巨人而炙嬰児矣。若是則有何尤抇人之墓,抉人之口而求利矣哉!雖此裸而薶之,猶且必抇也,安得葬薶哉!彼乃将食其肉而齕其骨也。
書き下し
夫れ乱れたる今は然る後に是に反す。上は法無きを以て使い、下は度無きを以て行う。知者は慮るを得ず、能者は治むるを得ず、賢者は使わるるを得ず。是くの若くんば、則ち上は天性を失い、下は地利を失い、中は人和を失う。故に百事廃れ、財物詘(つ)き、而して禍乱起こる。王公は則ち上に不足を病み、庶人は則ち下に凍え餧(う)え羸瘠(るいせき)す。是に於いてか桀紂群居して、盗賊撃奪して以て上を危うくす。安んぞ禽獣の行、虎狼の貪あり、故に巨人を脯にして嬰児を炙る。是くの若くんば則ち何の尤(とが)有りてか人の墓を抇き、人の口を抉りて利を求めんや。此れ裸にして之を薶(うず)むと雖も、猶お且つ必ず抇かれん。安くんぞ葬薶するを得んや。彼れ乃ち将に其の肉を食らいて其の骨を齕(か)まんとするなり。
現代語訳
ところが乱れた今の世は、これとまるで逆である。上に立つ者は法によらずに人を使い、下の者は節度なしにふるまう。知恵ある者は考えをめぐらす場を与えられず、能力ある者は治める場を与えられず、賢い者は用いられない。こうなれば、上は天の時を失い、下は地の利を失い、中は人の和を失う。だからあらゆる事業が立ちゆかなくなり、財貨は尽き、災いと乱れが起こる。王侯は上にあって不足に苦しみ、庶民は下にあって凍え飢え、やせ衰える。そこへ桀や紂のような者たちが群れ集まり、盗賊は襲って奪い取り、上に立つ者を脅かす。獣のようなふるまい、虎や狼のような貪りが横行し、ついには大人の肉を干し、赤子を焼いて食うまでになる。ここまでくれば、人の墓を暴き、死者の口をこじ開けてまで利を求めることに、何の遠慮があろうか。たとえ裸のまま埋めたところで、やはり必ず掘り返されるのだ。そもそも葬るということが成り立たない。彼らはその肉を食らい、その骨をかじろうとまでするのだから。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』成公十八年 悼公、百官を命ず二月、乙酉、朔、晉侯悼公、朝に位に即く。始めて百官に命ず。施舍して責(さい)を已め、鰥寡に逮(およ)ぼし、廢滯を振(すく)ひ、乏困を匡(ただ)し、災患を救ひ、淫慝を禁じ、賦斂を薄くし、罪戾を宥(ゆる)し、器用を節し、時に民を用ゐ、欲して時を犯すこと無し。魏相・士魴・魏頡・趙武をして卿と爲らしむ。荀家・荀會・欒黶・韓無忌を公族大夫と爲し、卿の子弟を訓へて、共儉孝弟ならしむ。士渥濁をして大傅と爲し、范武子の法を脩めしむ。右行辛を司空と爲し、士蒍の法を脩めしむ。弁糾、戎に御し、校正焉に屬す。諸御を訓へて義を知らしむ。荀賓を右と爲し、司士焉に屬す。勇力の士を訓へて時に使はしむ。卿、共御すること無く、軍尉を立てて以て之を攝せしむ。祁奚を中軍尉と爲し、羊舌職之を佐く。魏絳を司馬と爲し、張老を候奄と爲す。鐸遏寇を上軍尉と爲し、籍偃之が司馬と爲り、卒乘を訓へて、親しみて以て命を聽かしむ。程鄭を乘馬御と爲し、六騶焉に屬す。群騶を訓へて禮を知らしむ。凡そ六官の長、皆民の譽(ほま)れなり。舉げて職を失はず、官は方を易へず、爵は德を踰えず、師は正を陵(しの)がず、旅は師に偪らず、民に謗言無し。霸を復する所以なり。公、晉に如く。嗣君に朝するなり。
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司馬法・天子之義古の民を教うるや、必ず貴賤の倫経を立て、相陵(しの)がざらしむ。徳義相踰えず、材技相掩わず、勇力相犯さず。故に力同じくして意和す。古は、国容は軍に入らず、軍容は国に入らず、故に徳義相踰えず。上は伐(ほこ)らざるの士を貴ぶ、伐らざるの士は、上の器なり。苟(いやしく)も伐らざれば則ち求むること無く、求むること無ければ則ち争わず。国中の聴は、必ず其の情を得、軍旅の聴は、必ず其の宜を得、故に材技相掩わず。命に従うを士の上賞と為し、命を犯すを士の上戮と為す、故に勇力相犯さず。既に其の民を教うるを致し、然る後に謹んで選びて之を使う。事極めて修まれば則ち百官給(た)る。
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荀子・君道篇牆の外は、目に見えざるなり。里の前は、耳に聞こえざるなり。而るに人主の守司は、遠くは天下、近くは境内、略ぼ知らざるべからず。天下の変、境内の事、弛易齵差なる者有り、而して人主之を知るに由無ければ、則ち是れ拘脅蔽塞の端なり。耳目の明は、是くの如く其れ狭く、人主の守司は、是くの如く其れ広し。其の中知らざるべからず、是くの如く其れ危うし。然らば則ち人主将た何を以て之を知らん。曰く、便嬖左右なる者は、人主の遠きを窺い衆を収むる所以の門戸牖嚮なり、早く具えざるべからず。故に人主は必ず将に便嬖左右の信ずるに足る者有りて、然る後に可ならんとす。其の知恵は以て物を規るに足り、其の端誠は以て物を定むるに足り、然る後に可なり。夫れ是れを之れ国具と謂う。人主は遊観安燕の時有らざる能わず、則ち疾病物故の変有らざるを得ず。是くの如くんば、国なる者は、事物の至ること泉原の如し、一物応ぜざれば、乱の端なり。故に曰く、人主は以て独りなるべからず、と。卿相輔佐は、人主の基杖なり、早く具えざるべからず。故に人主は必ず将に卿相輔佐の任ずるに足る者有りて、然る後に可ならんとす。其の徳音は以て百姓を填撫するに足り、其の知慮は以て万変に応待するに足り、然る後に可なり。夫れ是れを之れ国具と謂う。四隣諸侯の相い与するや、以て相い接せざるべからず、然れども必ずしも相い親しまず。故に人主は必ず将に志を喩し疑を遠方に決するに足る者有りて、然る後に可ならんとす。其の弁説は以て煩を解くに足り、其の知慮は以て疑を決するに足り、其の斉断は以て難を距ぐに足り、秩を還さず、君に反かず、然り而して薄に応じ患を扞ぎ、以て社稷を持するに足り、然る後に可なり。夫れ是れを之れ国具と謂う。故に人主に便嬖左右の信ずるに足る者無きを、之を闇と謂う。卿相輔佐の任使するに足る者無きを、之を独と謂う。四隣諸侯に使わす所の者其の人に非ざるを、之を孤と謂う。孤独にして晻きを、之を危と謂う。国は存するが若しと雖も、古の人は亡べりと曰わん。詩に曰く、「済済たる多士、文王以て寧し」と。此れを之れ謂うなり。
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史記 項羽本紀項梁嘗て櫟陽(やくよう)の逮有り、乃ち蘄(き)の獄掾(ごくえん)曹咎に請ひて書もて櫟陽の獄掾司馬欣に抵(いた)さしめ、故を以て事已むを得たり。項梁人を殺し、籍と仇を呉中に避く。呉中の賢士大夫皆項梁の下に出づ。呉中に大繇役及び喪有る毎に、項梁常に主辦を為し、陰かに兵法を以て賓客及び子弟を部勒し、是を以て其の能を知る。秦の始皇帝会稽に游び、浙江を渡る、梁と籍と倶に観る。籍曰く、「彼取りて代はるべきなり。」と。梁其の口を掩ひて、曰く、「妄言する毋かれ、族せられん。」と。梁此を以て籍を奇とす。籍は長八尺余、力は能く鼎を扛(あ)げ、才気人に過ぎ、呉中の子弟と雖も皆已に籍を憚る。秦の二世元年七月、陳渉等大沢中に起こる。其の九月、会稽の守通、梁に謂ひて曰く、「江西皆反す、此れ亦天の秦を亡ぼすの時なり。吾聞く、先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制する所と為ると。吾兵を発し、公及び桓楚をして将たらしめんと欲す。」と。是の時桓楚亡げて沢中に在り。梁曰く、「桓楚亡げ、人其の処を知る莫し、独り籍のみ之を知るのみ。」と。梁乃ち出で、籍を誡めて剣を持して外に居りて待たしむ。梁復た入り、守と坐して、曰く、「請ふ籍を召し、命を受けて桓楚を召さしめん。」と。守曰く、「諾。」と。梁籍を召して入らしむ。須臾にして、梁籍に眴(めくば)せして曰く、「行ふべし。」と。是に於て籍遂に剣を抜きて守の頭を斬る。項梁守の頭を持ち、其の印綬を佩ぶ。門下大いに驚き、擾乱す、籍の撃殺する所数十百人。一府中皆慴伏し、敢へて起つ莫し。梁乃ち故より知る所の豪吏を召し、諭すに起こす所の大事を以てし、遂に呉中の兵を挙ぐ。人をして下県を収めしめ、精兵八千人を得たり。梁呉中の豪傑を部署して校尉・候・司馬と為す。一人の用ゐらるるを得ざる有り、自ら梁に言ふ。梁曰く、「前時某の喪に公をして某の事を主らしむるも、辦ずる能はず、此を以て公を任用せず。」と。衆乃ち皆伏す。是に於て梁は会稽の守と為り、籍は裨将と為りて、下県を徇ふ。
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『春秋左氏伝』文公三年 秦、西戎に覇たり春、莊叔諸侯の師に會して沈を伐つ、其の楚に服するを以ってなり。沈潰ゆ。凡そ民、其の上を逃るるを潰と曰ひ、上に在るを逃と曰ふ。衛侯陳に如く、晉の成を拜するなり。夏四月、乙亥、王叔文公卒す。來りて赴ぐ。弔すること同盟の如くす、禮なり。秦伯晉を伐つ。河を濟りて舟を焚き、王官及び郊を取る。晉人出でず。遂に茅津より濟り、殽の尸を封じて還る。遂に西戎に霸たり、孟明を用ゐればなり。君子是を以って知る、秦の穆公の君為るや、人を舉ぐることの周きなり、人に與することの壹なるなり。孟明の臣為るや、其の解(おこた)らざるなり、能く懼れて思ふなり。子桑の忠なるや、其の人を知るなり、能く善を舉ぐるなり。《詩》に曰く、「于(ここ)に以って蘩を采る、沼に于てし沚に于てす。于に以って之を用ゐる、公侯の事なり」と。秦の穆之れ有り。「夙夜解らず、以って一人に事ふ」と。孟明之れ有り。「厥の孫謀を詒(のこ)し、以って子を燕翼す」と。子桑之れ有り。秋、宋に螽雨る、隊ちて死するなり。楚の師江を圍む。晉の先僕楚を伐ちて以って江を救ふ。冬、晉江の故を以って周に告ぐ。王叔桓公・晉の陽處父、楚を伐ちて、以って江を救ふ。方城に門し、息の公子朱に遇ひて還る。
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『長短経』知人〔桓範曰く「夫れ帝王の君、歴代相踵ぎ、覇王の賢に任ずるを慕い、亡国の士を失うを悪まざるは莫し。然り而して猶お凶愚に任を授け、破亡相属くは、其の故は何ぞや。人を取るに道に合うを求めずして、己に合うを求むるに由るなり」と。
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