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荀子 / 正論篇

彼楚越者,且時享、歲貢,終王之屬也,必齊之日祭月祀之屬,然後曰受制邪?是規磨之說也。溝中之瘠也,則未足與及王者之制也。語曰:「淺不足與測深,愚不足與謀智,坎井之蛙,不可與語東海之樂。」此之謂也。

新字:彼楚越者,且時享、歲貢,終王之属也,必斉之日祭月祀之属,然後曰受制邪?是規磨之説也。溝中之瘠也,則未足与及王者之制也。語曰:「浅不足与測深,愚不足与謀智,坎井之蛙,不可与語東海之楽。」此之謂也。

書き下し

彼の楚越なる者は、且に時享・歳貢し、王を終うるの属なり。必ず之を日祭月祀の属に斉しくして、然る後に制を受くと曰わんか。是れ規磨の説なり。溝中の瘠なり、則ち未だ与に王者の制に及ぶに足らざるなり。語に曰く、浅は与に深きを測るに足らず、愚は与に智を謀るに足らず、坎井の蛙は、与に東海の楽しみを語る可からず、と。此れの謂いなり。

現代語訳

かの楚や越は、季節ごとの供えと年ごとの貢ぎ物をし、代替わりごとに朝見する部類の国である。それをどうしても日ごとの祭り、月ごとの祀りを行う近隣の国と同じにさせ、そうして初めて制度に従ったと言うつもりなのか。それはねじ曲がった議論というものだ。そんな者は溝の中で痩せこけている者と同じで、ともに王者の制度を論じるには足りない。ことわざに言う、浅い者とは深さを測ることができず、愚かな者とは知恵を謀ることができない、古井戸の蛙とは東の大海の楽しみを語ることができない、と。まさにこのことである。

解説

楚や越は遠方の国ですから、もともと年に一度の貢ぎ物や代替わりの朝見で務めを果たす立場にあります。それを近隣諸国と同じ日ごと月ごとの務めを果たさなければ従っていないことになる、と言い張るのは、制度の作りを理解しないねじ曲がった議論だ、と荀子は切り捨てます。前段の五服の話を受けての結論です。有名な井の中の蛙のたとえがここで登場し、浅い者に深さは測れず、狭い世界にいる者に大海の広さは語れないと述べます。ここで批判されているのは知識の量ではなく、自分の物差ししか持たないという態度です。相手には相手の立場と役割がある。それを認めずに自分の基準だけで測れば、正しい評価はできません。人を測るときは、まず物差しが合っているかを疑うことです。

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