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荀子 / 正論篇

世俗之為說者曰:「治古無肉刑,而有象刑:墨黥,慅嬰,共、艾畢,剕、枲屨,殺、赭衣而不純。治古如是。」是不然。以為治邪?則人固莫觸罪,非獨不用肉刑,亦不用象刑矣。以為人或觸罪矣,而直輕其刑,然則是殺人者不死,傷人者不刑也。罪至重而刑至輕,庸人不知惡矣,亂莫大焉。凡刑人之本,禁暴惡惡,且懲其未也。殺人者不死,而傷人者不刑,是謂惠暴而寬賊也,非惡惡也。故象刑殆非生於治古,並起於亂今也。

新字:世俗之為説者曰:「治古無肉刑,而有象刑:墨黥,慅嬰,共、艾畢,剕、枲屨,殺、赭衣而不純。治古如是。」是不然。以為治邪?則人固莫触罪,非独不用肉刑,亦不用象刑矣。以為人或触罪矣,而直輕其刑,然則是殺人者不死,傷人者不刑也。罪至重而刑至輕,庸人不知悪矣,乱莫大焉。凡刑人之本,禁暴悪悪,且懲其未也。殺人者不死,而傷人者不刑,是謂恵暴而寛賊也,非悪悪也。故象刑殆非生於治古,並起於乱今也。

書き下し

世俗の説を為す者曰く、治古に肉刑無くして、象刑有り。墨は黥、慅嬰、共・艾畢、剕は枲屨、殺は赭衣にして純せず。治古は是くの如し、と。是れ然らず。以て治まれりと為すか。則ち人固より罪に触るる莫くんば、独り肉刑を用いざるのみに非ず、亦た象刑をも用いざらん。以て人或いは罪に触ると為して、而も直だ其の刑を軽くせば、然らば則ち是れ人を殺す者も死せず、人を傷つくる者も刑せられざるなり。罪は至重にして刑は至軽なれば、庸人も悪を知らず、乱焉より大なるは莫し。凡そ人を刑するの本は、暴を禁じ悪を悪み、且つ其の未だしきを懲らすなり。人を殺す者死せず、而も人を傷つくる者刑せられざるは、是れ暴に恵みて賊に寛なりと謂うなり、悪を悪むに非ざるなり。故に象刑は殆ど治古に生ずるに非ず、並びに乱今に起これるなり。

現代語訳

世間で議論を立てる者はこう言う。よく治まっていた古代には肉体を傷つける刑罰がなく、象徴だけの刑があった。入れ墨の刑の代わりには黥をかたどった印を付け、飾りのない冠のひもを掛けさせ、鼻切りや足切りの刑の代わりには特別な前掛けや麻の履物を履かせ、死刑の代わりには縁取りのない赤い衣を着せた。よく治まった古代とはこういうものだった、と。そうではない。よく治まっていたというのか。それなら人はもともと罪を犯さないのだから、肉体を傷つける刑を用いないだけでなく、象徴的な刑もまた用いる必要がない。もし人が罪を犯すことがあると認めたうえで、ただ刑罰を軽くするだけなら、人を殺した者が死なず、人を傷つけた者が罰せられないことになる。罪はきわめて重いのに刑はきわめて軽い。そうなれば普通の人でさえ悪を悪と思わなくなる。これほど大きな乱れはない。そもそも人を罰することの根本は、暴力を禁じ、悪を憎み、さらにこれから起こる悪をあらかじめ懲らしめておくことにある。人を殺した者が死なず、人を傷つけた者が罰せられないのは、暴力に恵みを与え、賊にゆるやかであるというべきで、悪を憎むこととは言えない。だから象徴的な刑というものは、よく治まった古代に生まれたのではなく、乱れた現代とともに現れた考えなのだ。

解説

三つめの俗説は刑罰をめぐるものです。よく治まった古代には肉体を傷つける刑がなく、罪に応じた目印を身に着けさせる象徴的な刑だけで秩序が保たれていた、という説が世間に流布していました。人道的で魅力的に響く話です。荀子の反論は、俗説を二つに割って両方を潰すという明快な形をとります。もし本当に古代が完全に治まっていたのなら、そもそも誰も罪を犯さないのだから、象徴的な刑すら要らないはずだ。逆に罪を犯す者がいると認めるなら、罰を印だけにしてしまえば、人を殺しても死なず傷つけても罰されないことになり、悪が悪として通用しなくなる。どちらに転んでも成り立たない、というわけです。そのうえで荀子は、刑罰の根本を、暴力を禁じ、悪を憎み、まだ起きていない悪をあらかじめ抑えることだと定義します。罰が軽すぎるのは優しさではなく、加害者に味方し被害者を見捨てることだ、という指摘は鋭いものです。ルールを緩めるのが思いやりだと思ってしまうとき、この一段は立ち止まるきっかけになります。

この一句を、あなたの毎日に。

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