荀子 / 天論篇
時邪?曰:繁啟蕃長於春夏,畜積收臧於秋冬,是禹桀之所同也,禹以治,桀以亂;治亂非時也。
新字:時邪?曰:繁啟蕃長於春夏,畜積収臧於秋冬,是禹桀之所同也,禹以治,桀以乱;治乱非時也。
書き下し
時か。曰く、繁(しげ)く啟(ひら)き蕃(しげ)く長ずるは春夏に於いてし、畜(たくわ)え積み收め臧(おさ)むるは秋冬に於いてす。是れ禹桀の同じくする所なり。禹は以て治まり、桀は以て亂る。治亂は時に非ざるなり。
現代語訳
では、時節(季節の巡り)のせいだろうか。答えて言う。草木がさかんに芽吹き茂り育つのは春と夏であり、蓄え積んで取り入れ収めるのは秋と冬である。これは禹の時代も桀の時代も同じであった。それでも禹の世は治まり、桀の世は乱れた。治乱は時節によるのではない。
解説
前段と同じ論法を、今度は季節に向けます。春夏に芽吹き茂り、秋冬に収穫し蓄える——この四季の巡りは、聖王の禹の時代も暴君の桀の時代も変わりませんでした。同じ季節の恵みを受けながら、一方は治まり、一方は乱れた。だから治乱の原因は時節ではない、というのです。荀子は同じ型の問いを繰り返すことで、「天のせい」「時のせい」という逃げ道を一つずつ塞いでいきます。ここで見落としたくないのは、四季の巡りが恵みであると同時に「条件」にすぎない、という感覚です。同じ条件を活かすか無駄にするかは人の側にある。景気の波、季節の需要、時代の追い風——どれも与えられた条件であって、成果そのものではありません。追い風が吹いているときに何を積み上げたかが、風がやんだときの差になって現れます。