荀子 / 天論篇
治亂,天邪?曰:日月星辰瑞厤,是禹桀之所同也,禹以治,桀以亂;治亂非天也。
新字:治乱,天邪?曰:日月星辰瑞厤,是禹桀之所同也,禹以治,桀以乱;治乱非天也。
書き下し
治亂は天か。曰く、日月星辰(せいしん)瑞厤(ずいれき)、是れ禹(う)桀(けつ)の同じくする所なり。禹は以て治まり、桀は以て亂る。治亂は天に非ざるなり。
現代語訳
世が治まるか乱れるかは、天によるのだろうか。答えて言う。太陽・月・星々の巡り、めでたい暦の運行、これは聖王の禹の時代も暴君の桀の時代も同じであった。それでも禹の世は治まり、桀の世は乱れた。治乱は天によるのではない。
解説
ここから三段(六・七・八)にわたって、荀子は同じ形の問答を畳みかけます。まず「世の治乱は天のせいか」。答えは明快です。禹の時代も桀の時代も、日月星辰の巡りも暦も同じだった。同じ天の下で、一方は治まり、一方は乱れた。ならば治乱の原因は天ではありえない——これは、条件が同じで結果が違うのだから原因はそこにない、という筋の通った推論です。禹は治水で名高い聖王、桀は夏王朝を滅ぼした暴君で、対比の定番として引かれます。同じ天のもとで結果が分かれた以上、分けたのは人だ、というわけです。私たちの職場でも、同じ市場、同じ景気、同じ制度のもとで伸びる会社と沈む会社があります。外部環境は言い訳の材料にはなりますが、説明にはなりません。条件が同じで結果が違うなら、見るべきは自分たちのやり方です。
この章句が説くこと
治乱は天に非ず禹と桀同じ条件で分かれる結果原因を人に求める
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荀子・天論篇地か。曰く、地を得れば則ち生き、地を失えば則ち死す。是れ又た禹桀の同じくする所なり。禹は以て治まり、桀は以て亂る。治亂は地に非ざるなり。詩に曰く、「天高山を作(な)し、大王(たいおう)之を荒(ひら)く。彼(か)れ作(おこ)し、文王之を康(やす)んず」と。此れ之(こ)れの謂いなり。
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