荀子 / 天論篇
故大巧在所不為,大智在所不慮。所志於天者,已其見象之可以期者矣;所志於地者,已其見宜之可以息者矣:所志於四時者,已其見數之可以事者矣;所志於陰陽者,已其見和之可以治者矣。官人守天,而自為守道也。
新字:故大巧在所不為,大智在所不慮。所志於天者,已其見象之可以期者矣;所志於地者,已其見宜之可以息者矣:所志於四時者,已其見数之可以事者矣;所志於陰陽者,已其見和之可以治者矣。官人守天,而自為守道也。
書き下し
故に大巧(たいこう)は為さざる所に在り、大智は慮らざる所に在り。天に志(し)る所の者は、已(た)だ其の象(しょう)を見(あら)わして以て期(き)すべき者のみ。地に志る所の者は、已だ其の宜(ぎ)を見わして以て息(そだ)つべき者のみ。四時に志る所の者は、已だ其の數(すう)を見わして以て事とすべき者のみ。陰陽に志る所の者は、已だ其の和を見わして以て治むべき者のみ。人を官(かん)して天を守らしめ、而して自らは道を守ることを為すなり。
現代語訳
だから、最も優れた技巧は「あえて手を出さないところ」にあり、最も優れた知恵は「あえて考えないところ」にある。人が天について心得ておくべきことは、目に見える天象のうち、季節を予測するのに役立つものだけである。地について心得ておくべきことは、目に見える土地の適性のうち、作物を育てるのに役立つものだけである。四季について心得ておくべきことは、目に見える巡りの数のうち、農事を営むのに役立つものだけである。陰陽について心得ておくべきことは、目に見える調和のうち、世を治めるのに役立つものだけである。天のことは役人を任命して観測させておけばよく、自分自身は人の道を守ることに専念するのである。
解説
前段を受けて、天とのつき合い方をさらに実務的に絞り込む段です。「大巧は為さざる所に在り、大智は慮らざる所に在り」——本当に優れた技や知恵は、何をしないか、何を考えないかで決まる。荀子はこう言い切ります。天や地や四季について人が知るべきなのは、暦を立て、作物を育て、農事を営み、世を治めるのに役立つ範囲だけで十分だ、というのです。それ以上の形而上の詮索には踏み込まない。天体観測は専門の役人に任せておき、為政者自身は人の道を守ることに集中する。ここには、知の対象を実用へ限定し、限られた力を最も効く一点に集中させるという、荀子らしい合理性があります。仕事でも、あれもこれも把握しようとすると肝心の仕事が薄まります。人に任せられる観測は任せ、自分は自分の持ち場の「道」を守る。何をしないかを決めることが、実は最も高度な設計なのです。
この章句が説くこと
大巧は為さざる所に在り知の限定専門への委任自分の道を守る
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