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荀子 / 天論篇

不為而成,不求而得,夫是之謂天職。如是者,雖深、其人不加慮焉;雖大、不加能焉;雖精、不加察焉,夫是之謂不與天爭職。天有其時,地有其財,人有其治,夫是之謂能參。舍其所以參,而願其所參,則惑矣。

新字:不為而成,不求而得,夫是之謂天職。如是者,雖深、其人不加慮焉;雖大、不加能焉;雖精、不加察焉,夫是之謂不与天争職。天有其時,地有其財,人有其治,夫是之謂能参。舎其所以参,而願其所参,則惑矣。

書き下し

為さずして成り、求めずして得(う)、夫れ是れを之れ天職と謂う。是(かく)の如き者は、深しと雖も、其の人焉(これ)に慮を加えず。大なりと雖も、能(のう)を加えず。精なりと雖も、察を加えず。夫れ是れを之れ天と職を爭わずと謂う。天に其の時有り、地に其の財有り、人に其の治有り。夫れ是れを之れ能く參(さん)すと謂う。其の參する所以(ゆえん)を舍(す)てて、其の參する所を願うは、則ち惑えるなり。

現代語訳

何もしなくても成り立ち、求めなくても得られる。これを天の職分という。このようなものについては、どれほど奥深くても、人はそこに思案を加えたりしない。どれほど大きくても、そこに人の力を加えたりしない。どれほど精妙でも、そこを詮索したりしない。これを、天と職分を争わないという。天には天の時があり、地には地の産物があり、人には人の治めがある。この三つがそろってはじめて、人は天地と並び立つ三者の一つとなれる。ところが、自分が三者の一つとして果たすべき務め(人の治め)を捨てておきながら、天地と並び立つことだけを願うのは、迷いというものである。

解説

天がやってくれることと、人がやるべきことをきっちり分ける段です。四季が巡り、作物が育つ——それは人が働きかけなくても勝手に成り立つ領分で、荀子はこれを「天職」と呼びます。ならば人は、天の仕組みを詮索したり、天と手柄を争ったりする必要はありません。天には時、地には資源、そして人には「治」つまり社会をととのえる働きがある。この三つがそろって初めて、人は天地と肩を並べる存在になれる、というのが「能く參す」の意味です。ここで荀子が痛烈なのは最後の一句で、自分の担当分をほったらかしにしたまま「天地と並ぶ立派な存在になりたい」と願うのは、ただの迷妄だと切り捨てます。私たちの仕事も同じで、市場や天候や上司の判断といった自分の管轄外を延々と論評しても何も動きません。自分の持ち場でできることを果たすこと、それが天地に対して人が張り合える唯一の方法です。

この一句を、あなたの毎日に。

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