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荀子 / 議兵篇

故齊之田單,楚之莊蹻,秦之衛鞅,燕之繆蟣,是皆世俗所謂善用兵者也,是其巧拙強弱,則未有以相君也。若其道一也,未及和齊也;掎契司詐,權謀傾覆,未免盜兵也。齊桓、晉文、楚莊、吳闔閭、越勾踐是皆和齊之兵也,可謂入其域矣,然而未有本統也,故可以霸而不可以王;是強弱之效也。

新字:故斉之田単,楚之荘蹻,秦之衛鞅,燕之繆蟣,是皆世俗所謂善用兵者也,是其巧拙強弱,則未有以相君也。若其道一也,未及和斉也;掎契司詐,権謀傾覆,未免盗兵也。斉桓、晉文、楚荘、吳闔閭、越勾践是皆和斉之兵也,可謂入其域矣,然而未有本統也,故可以覇而不可以王;是強弱之効也。

書き下し

故に斉の田単、楚の荘蹻、秦の衛鞅、燕の繆蟣、是れ皆な世俗の所謂る善く兵を用うる者なり。是れ其の巧拙強弱は、則ち未だ以て相い君たること有らず。若し其の道は一なり、未だ和斉に及ばざるなり。掎契司詐、権謀傾覆にして、未だ盗兵を免れざるなり。斉桓・晋文・楚荘・呉の闔閭・越の勾践、是れ皆な和斉の兵なり。其の域に入ると謂うべし。然り而して未だ本統有らざるなり。故に以て覇たるべくして以て王たるべからず。是れ強弱の効なり。

現代語訳

斉の田単、楚の荘蹻、秦の衛鞅、燕の繆蟣、これらはみな世間で用兵の名手と呼ばれる者たちである。その巧拙や強弱には、互いに抜きん出るほどの差はない。彼らのやり方は同じで、まだ和合してそろった境地には及ばない。すきをうかがい欺きを探り、権謀と裏切りを用いるのであって、まだ盗兵の域を出ていない。斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉の闔閭、越の勾践、これらはみな和合してそろった軍である。その領域には入ったと言ってよい。しかしまだ根本の筋道がない。だから覇者にはなれても、王者にはなれない。これが強弱の結果である。

解説

荀子は名将たちを二つの層に分けます。田単・荘蹻・衛鞅・繆蟣といった「用兵の名手」は、結局のところ欺きと権謀の域を出ない盗兵にすぎない。一方、桓公・文公・荘王・闔閭・勾践といった覇者たちは、確かに軍を和合させ、統制の域に達している。しかし、それでもなお「本統」——根本の筋道、つまり礼義に立つ理念がない。だから覇者にはなれても王者にはなれない、と。ここには荀子の一貫した段階論があります。策略の段階、統制の段階、そして理念の段階。多くの組織は二段階目までは到達できます。仕組みが整い、人が動き、成果も出る。しかし「何のために」という根が据わっていないと、そこで頭打ちになる。覇と王を分けるのは、力の量ではなく、拠って立つものの質なのです。うまく回っている組織ほど、この問いを飛ばしてしまいがちです。

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