荀子 / 議兵篇
孫卿子曰:不然。臣之所道,仁者之兵,王者之志也。君之所貴,權謀埶利也;所行,攻奪變詐也;諸侯之事也。仁人之兵,不可詐也;彼可詐者,怠慢者也,路亶者也,君臣上下之間,渙然有離德者也。故以桀詐桀,猶巧拙有幸焉。以桀詐堯,譬之:若以卵投石,以指撓沸;若赴水火,入焉焦沒耳。故仁人上下,百將一心,三軍同力;臣之於君也,下之於上也,若子之事父,弟之事兄,若手臂之扞頭目而覆胸腹也,詐而襲之,與先驚而後擊之,一也。且仁人之用十里之國,則將有百里之聽;用百里之國,則將有千里之聽;用千里之國,則將有四海之聽,必將聰明警戒和傳而一。故仁人之兵,聚則成卒,散則成列,延則若莫邪之長刃,嬰之者斷;兌則若莫邪之利鋒,當之者潰,圜居而方止,則若盤石然,觸之者角摧,案角鹿埵隴種東籠而退耳。且夫暴國之君,將誰與至哉?彼其所與至者,必其民也,而其民之親我歡若父母,其好我芬若椒蘭,彼反顧其上,則若灼黥,若讎仇;人之情,雖桀跖,豈又肯為其所惡,賊其所好者哉!是猶使人之子孫自賊其父母也,彼必將來告之,夫又何可詐也!故仁人用國日明,諸侯先順者安,後順者危,慮敵之者削,反之者亡。《詩》曰:「武王載發,有虔秉鉞;如火烈烈,則莫我敢遏。」此之謂也。
新字:孫卿子曰:不然。臣之所道,仁者之兵,王者之志也。君之所貴,権謀埶利也;所行,攻奪変詐也;諸侯之事也。仁人之兵,不可詐也;彼可詐者,怠慢者也,路亶者也,君臣上下之間,渙然有離徳者也。故以桀詐桀,猶巧拙有幸焉。以桀詐堯,譬之:若以卵投石,以指撓沸;若赴水火,入焉焦没耳。故仁人上下,百将一心,三軍同力;臣之於君也,下之於上也,若子之事父,弟之事兄,若手臂之扞頭目而覆胸腹也,詐而襲之,与先驚而後撃之,一也。且仁人之用十里之国,則将有百里之聴;用百里之国,則将有千里之聴;用千里之国,則将有四海之聴,必将聰明警戒和伝而一。故仁人之兵,聚則成卒,散則成列,延則若莫邪之長刃,嬰之者断;兌則若莫邪之利鋒,当之者潰,圜居而方止,則若盤石然,触之者角摧,案角鹿埵隴種東籠而退耳。且夫暴国之君,将誰与至哉?彼其所与至者,必其民也,而其民之親我歓若父母,其好我芬若椒蘭,彼反顧其上,則若灼黥,若讎仇;人之情,雖桀跖,豈又肯為其所悪,賊其所好者哉!是猶使人之子孫自賊其父母也,彼必将来告之,夫又何可詐也!故仁人用国日明,諸侯先順者安,後順者危,慮敵之者削,反之者亡。《詩》曰:「武王載発,有虔秉鉞;如火烈烈,則莫我敢遏。」此之謂也。
書き下し
孫卿子曰く、然らず。臣の道う所は、仁者の兵、王者の志なり。君の貴ぶ所は権謀埶利なり、行う所は攻奪変詐なり、諸侯の事なり。仁人の兵は、詐るべからざるなり。彼の詐るべき者は、怠慢なる者なり、路亶なる者なり、君臣上下の間、渙然として離徳有る者なり。故に桀を以て桀を詐るは、猶お巧拙に幸有り。桀を以て堯を詐るは、之を譬うれば、卵を以て石に投じ、指を以て沸を撓すが若し。水火に赴けば、焉に入りて焦げ没するのみ。故に仁人は上下、百将一心、三軍力を同じくす。臣の君に於けるや、下の上に於けるや、子の父に事え、弟の兄に事うるが若く、手臂の頭目を扞ぎて胸腹を覆うが若し。詐りて之を襲うと、先ず驚かして後に之を撃つとは、一なり。且つ仁人の十里の国を用うれば、則ち将に百里の聴有らんとし、百里の国を用うれば、則ち将に千里の聴有らんとし、千里の国を用うれば、則ち将に四海の聴有らんとす。必ず将に聡明警戒、和伝して一ならんとす。故に仁人の兵は、聚まれば則ち卒を成し、散ずれば則ち列を成す。延ぶれば則ち莫邪の長刃の若く、之に嬰るる者は断たれ、兌ければ則ち莫邪の利鋒の若く、之に当たる者は潰ゆ。圜居して方止すれば、則ち盤石の若く然り、之に触るる者は角摧け、案として角鹿埵隴種東籠として退くのみ。且つ夫れ暴国の君、将に誰と与にか至らんとするや。彼の与に至る所の者は、必ず其の民なり。而して其の民の我に親しむこと歓びて父母の若く、其の我を好むこと芬りて椒蘭の若し。彼れ反りて其の上を顧みれば、則ち灼黥の若く、讎仇の若し。人の情、桀跖と雖も、豈に又肯えて其の悪む所の為に、其の好む所を賊わんや。是れ猶お人の子孫をして自ら其の父母を賊わしむるがごときなり。彼れ必ず将に来たりて之を告げんとす。夫れ又何ぞ詐るべけんや。故に仁人国を用うれば日に明らかにして、諸侯の先に順う者は安く、後に順う者は危うく、之に敵せんと慮る者は削られ、之に反する者は亡ぶ。詩に曰く、武王載ち発し、虔有りて鉞を秉る。火の烈烈たるが如く、則ち我を敢えて遏むる莫し、と。此れ之を謂うなり。
現代語訳
孫卿子は言った、「そうではない。私が説くのは、仁者の軍であり、王者の志である。あなたが重んじるのは権謀と有利な形勢であり、行うのは奪い取り欺くことであって、それは諸侯どうしの争いごとにすぎない。仁者の軍は欺くことができない。欺けるのは、怠けて緩んだ軍、疲れ果てた軍、君臣上下の間がばらばらに離れて心が離反している軍である。だから、暴君の桀が桀を欺くなら、まだうまい下手や運の入り込む余地がある。しかし桀が堯を欺こうとするのは、たとえて言えば卵を石に投げつけ、指で煮え立つ湯をかき回すようなもの。水や火に飛び込めば、焼け焦げて沈むだけである。仁者のもとでは上下が一つになり、多くの将は心を一つにし、全軍が力を合わせる。臣が君に仕えるのは、下の者が上の者に仕えるのは、子が父に仕え弟が兄に仕えるようであり、手や腕が頭や目を守り胸や腹を覆うようなものだ。だから、欺いて不意打ちをかけても、先に警告してから撃っても、結果は同じである。しかも仁者が十里の国を治めれば百里先の情報が入り、百里の国を治めれば千里先の情報が入り、千里の国を治めれば天下四海の情報が入る。必ず聡明に警戒し、和して情報が伝わり、一つにまとまるからだ。だから仁者の軍は、集まれば部隊をなし、散れば整然と列をなす。伸びれば名剣・莫邪の長い刃のようで、触れる者は断たれ、鋭く突けば莫邪の切っ先のようで、当たる者は崩れる。円く陣取り方形に止まれば大岩のようで、ぶつかる者は角が砕け、ばらばらに崩れて退くだけである。そもそも暴虐な国の君主は、いったい誰とともにやって来るのか。ともに来るのは必ずその国の民である。ところがその民は、私を父母のように喜んで慕い、山椒や蘭の香りのように私を好んでいる。彼らが振り返って自分の君主を見れば、焼き印を押されるような、仇敵のような思いしかない。人の情として、たとえ桀や盗跖のような者でも、憎む相手のために、自分の好む相手を害することを進んでするだろうか。それは人の子孫に自分の父母を害させるようなものだ。彼らは必ずやって来て内情を告げるだろう。それでどうして欺けようか。だから仁者が国を治めれば日に日に明らかになり、諸侯のうち先に従う者は安泰、後から従う者は危うく、敵対しようと考える者は領土を削られ、そむく者は滅びる。『詩経』に「武王はついに出発し、うやうやしくまさかりを手に取る。その勢いは燃えさかる火のようで、我らを阻める者はいない」とあるのは、このことを言っている」と。
解説
この章句が説くこと
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老子・第38章上徳は徳とせず、是を以て徳有り。下徳は徳を失わざらんとす、是を以て徳無し。上徳は無為にして而も以て為すこと無し。下徳は之を為して而も以て為すこと有り。上仁は之を為して而も以て為すこと無し。上義は之を為して而も以て為すこと有り。上礼は之を為して而も之に応ずる莫ければ、則ち臂を攘げて之を扔く。故に道を失いて而る後に徳、徳を失いて而る後に仁、仁を失いて而る後に義、義を失いて而る後に礼。夫れ礼は忠信の薄きにして、乱の首なり。前識は道の華にして、愚の始めなり。是を以て大丈夫は其の厚きに処りて、其の薄きに居らず。其の実に処りて、其の華に居らず。故に彼を去りて此を取る。
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