荀子 / 致士篇
師術有四,而博習不與焉:尊嚴而憚,可以為師;耆艾而信,可以為師;誦說而不陵不犯,可以為師;知微而論,可以為師:故師術有四,而博習不與焉。水深而回,樹落則糞本,弟子通利則思師。《詩》曰:「無言不讎,無德不報。」此之謂也。
新字:師術有四,而博習不与焉:尊厳而憚,可以為師;耆艾而信,可以為師;誦説而不陵不犯,可以為師;知微而論,可以為師:故師術有四,而博習不与焉。水深而回,樹落則糞本,弟子通利則思師。《詩》曰:「無言不讎,無徳不報。」此之謂也。
書き下し
師術に四有り、而して博習は与らず。尊厳にして憚らるるは、以て師と為すべし。耆艾にして信あるは、以て師と為すべし。誦説して陵がず犯さざるは、以て師と為すべし。微を知りて論ずるは、以て師と為すべし。故に師術に四有り、而して博習は与らず。水深くして回り、樹落つれば則ち本を糞やし、弟子通利すれば則ち師を思う。詩に曰く、言として讎いられざるは無く、徳として報いられざるは無し、と。此れを之れ謂うなり。
現代語訳
師たる条件は四つあり、そのなかに博学であることは入っていない。威厳があって人に一目置かれること、これで師となれる。年輪を重ねて信頼があること、これで師となれる。教えを説いて、道理を踏みはずさず筋を乱さないこと、これで師となれる。微妙なところを見抜いて論じられること、これで師となれる。だから師たる条件は四つあり、そのなかに博学であることは入っていない。水が深ければ渦を巻いて回り、木の葉は落ちてその根を肥やし、弟子は事がうまく通じるようになれば師を思うものである。詩経に「どんな言葉にも返ってくる応えがあり、どんな徳にも報いがある」とあるのは、このことをいうのである。
解説
この章句が説くこと
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荀子・修身篇礼なる者は、身を正す所以なり。師なる者は、礼を正す所以なり。礼無くんば何を以て身を正さん。師無くんば吾れ安くんぞ礼の是と為すを知らん。礼然りとして然りとせば、則ち是れ情、礼に安んずるなり。師云いて云わば、則ち是れ知、師の若きなり。情、礼に安んじ、知、師の若くならば、則ち是れ聖人なり。故に礼を非とするは、是れ法無きなり。師を非とするは、是れ師無きなり。師法を是とせずして自ら用うるを好むは、之を譬うれば是れ猶お盲を以て色を弁じ、聾を以て声を弁ずるがごとし。乱妄を舎きて為す無きなり。故に学ぶ者は、礼法なり。夫れ師は、身を以て正儀と為して、自ら安んずるを貴ぶ者なり。詩に云う、「識らず知らず、帝の則に順う」とは、此れを之れ謂うなり。
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