荀子 / 致士篇
程者、物之準也,禮者、節之準也;程以立數,禮以定倫;德以敘位,能以授官。凡節奏欲陵,而生民欲寬;節奏陵而文,生民寬而安;上文下安,功名之極也,不可以加矣。
新字:程者、物之準也,礼者、節之準也;程以立数,礼以定倫;徳以敘位,能以授官。凡節奏欲陵,而生民欲寛;節奏陵而文,生民寛而安;上文下安,功名之極也,不可以加矣。
書き下し
程なる者は物の準なり、礼なる者は節の準なり。程以て数を立て、礼以て倫を定む。徳以て位を敘し、能以て官を授く。凡そ節奏は陵からんことを欲し、生民は寛からんことを欲す。節奏陵くして文あり、生民寛くして安し。上は文あり下は安きは、功名の極みなり、以て加うべからず。
現代語訳
はかり(程)とは物事の基準であり、礼とはけじめの基準である。はかりによって数量が定まり、礼によって人倫の序列が定まる。徳の高さによって地位を順序づけ、能力によって官職を授ける。およそ規律や作法はきびしく厳格であることが望ましく、民の暮らしはゆとりのあることが望ましい。規律が厳格であってこそ秩序に文彩があらわれ、民の暮らしにゆとりがあってこそ安らかである。上に文彩があり、下が安らかであること。これこそ功績と名声の極みであって、これ以上つけ加えるものはない。
解説
基準の話から始まる一段です。物の量をはかるには「程」という物差しが要るように、人と人との関係のけじめをはかるには「礼」という物差しが要る、と荀子は言います。そして人事の原則を二つ挙げます。地位は徳の高さで順序づけ、官職は能力で授ける、と。人格と実務能力を分けて考えている点が興味深いところです。後半の対比が本段の要です。規律や作法は厳しくあれ、しかし民の暮らしはゆるやかであれ。上が引き締まっているからこそ下が安らげる、というのです。厳しさと寛やかさは、どちらか一方を選ぶものではなく、上と下で使い分けるべきものだ、という設計思想です。組織にあてはめれば、基準やルール、自分たち管理する側の規律は厳しく保ちながら、現場で働く人には余裕をつくる。この向きを取り違えて、上がゆるく下が締めつけられている組織は、遅かれ早かれ人が離れていきます。
この章句が説くこと
礼は節の基準徳で位を定め能で官を授ける規律と寛容上文下安礼
関連する章句
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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