荀子 / 君道篇
牆之外,目不見也;里之前,耳不聞也;而人主之守司,遠者天下,近者境內,不可不略知也。天下之變,境內之事,有弛易齵差者矣,而人主無由知之,則是拘脅蔽塞之端也。耳目之明,如是其狹也;人主之守司,如是其廣也;其中不可以不知也,如是其危也。然則人主將何以知之?曰:便嬖左右者,人主之所以窺遠收眾之門戶牖嚮也,不可不早具也。故人主必將有便嬖左右足信者,然後可。其知惠足使規物,其端誠足使定物,然後可;夫是之謂國具。人主不能不有遊觀安燕之時,則不得不有疾病物故之變焉。如是,國者,事物之至也如泉原,一物不應,亂之端也。故曰:人主不可以獨也。卿相輔佐,人主之基杖也,不可不早具也。故人主必將有卿相輔佐足任者,然後可。其德音足以填撫百姓,其知慮足以應待萬變,然後可;夫是之謂國具。四鄰諸侯之相與,不可以不相接也,然而不必相親也,故人主必將有足使喻志決疑於遠方者,然後可。其辯說足以解煩,其知慮足以決疑,其齊斷足以距難,不還秩,不反君,然而應薄扞患,足以持社稷,然後可,夫是之謂國具。故人主無便嬖左右足信者,謂之闇;無卿相輔佐足任使者,謂之獨;所使於四鄰諸侯者非其人,謂之孤;孤獨而晻,謂之危。國雖若存,古之人曰亡矣。《詩》曰:「濟濟多士,文王以寧。」此之謂也。
新字:牆之外,目不見也;里之前,耳不聞也;而人主之守司,遠者天下,近者境內,不可不略知也。天下之変,境內之事,有弛易齵差者矣,而人主無由知之,則是拘脅蔽塞之端也。耳目之明,如是其狭也;人主之守司,如是其広也;其中不可以不知也,如是其危也。然則人主将何以知之?曰:便嬖左右者,人主之所以窺遠収眾之門戶牖嚮也,不可不早具也。故人主必将有便嬖左右足信者,然後可。其知恵足使規物,其端誠足使定物,然後可;夫是之謂国具。人主不能不有遊観安燕之時,則不得不有疾病物故之変焉。如是,国者,事物之至也如泉原,一物不応,乱之端也。故曰:人主不可以独也。卿相輔佐,人主之基杖也,不可不早具也。故人主必将有卿相輔佐足任者,然後可。其徳音足以填撫百姓,其知慮足以応待万変,然後可;夫是之謂国具。四鄰諸侯之相与,不可以不相接也,然而不必相親也,故人主必将有足使喻志決疑於遠方者,然後可。其辯説足以解煩,其知慮足以決疑,其斉断足以距難,不還秩,不反君,然而応薄扞患,足以持社稷,然後可,夫是之謂国具。故人主無便嬖左右足信者,謂之闇;無卿相輔佐足任使者,謂之独;所使於四鄰諸侯者非其人,謂之孤;孤独而晻,謂之危。国雖若存,古之人曰亡矣。《詩》曰:「済済多士,文王以寧。」此之謂也。
書き下し
牆の外は、目に見えざるなり。里の前は、耳に聞こえざるなり。而るに人主の守司は、遠くは天下、近くは境内、略ぼ知らざるべからず。天下の変、境内の事、弛易齵差なる者有り、而して人主之を知るに由無ければ、則ち是れ拘脅蔽塞の端なり。耳目の明は、是くの如く其れ狭く、人主の守司は、是くの如く其れ広し。其の中知らざるべからず、是くの如く其れ危うし。然らば則ち人主将た何を以て之を知らん。曰く、便嬖左右なる者は、人主の遠きを窺い衆を収むる所以の門戸牖嚮なり、早く具えざるべからず。故に人主は必ず将に便嬖左右の信ずるに足る者有りて、然る後に可ならんとす。其の知恵は以て物を規るに足り、其の端誠は以て物を定むるに足り、然る後に可なり。夫れ是れを之れ国具と謂う。人主は遊観安燕の時有らざる能わず、則ち疾病物故の変有らざるを得ず。是くの如くんば、国なる者は、事物の至ること泉原の如し、一物応ぜざれば、乱の端なり。故に曰く、人主は以て独りなるべからず、と。卿相輔佐は、人主の基杖なり、早く具えざるべからず。故に人主は必ず将に卿相輔佐の任ずるに足る者有りて、然る後に可ならんとす。其の徳音は以て百姓を填撫するに足り、其の知慮は以て万変に応待するに足り、然る後に可なり。夫れ是れを之れ国具と謂う。四隣諸侯の相い与するや、以て相い接せざるべからず、然れども必ずしも相い親しまず。故に人主は必ず将に志を喩し疑を遠方に決するに足る者有りて、然る後に可ならんとす。其の弁説は以て煩を解くに足り、其の知慮は以て疑を決するに足り、其の斉断は以て難を距ぐに足り、秩を還さず、君に反かず、然り而して薄に応じ患を扞ぎ、以て社稷を持するに足り、然る後に可なり。夫れ是れを之れ国具と謂う。故に人主に便嬖左右の信ずるに足る者無きを、之を闇と謂う。卿相輔佐の任使するに足る者無きを、之を独と謂う。四隣諸侯に使わす所の者其の人に非ざるを、之を孤と謂う。孤独にして晻きを、之を危と謂う。国は存するが若しと雖も、古の人は亡べりと曰わん。詩に曰く、「済済たる多士、文王以て寧し」と。此れを之れ謂うなり。
現代語訳
塀の外は目に見えない。一里先は耳に聞こえない。それなのに君主が受け持つ範囲は、遠くは天下、近くは国内に及び、そのすべてをおおよそ知らないわけにはいかない。天下の変化や国内の出来事には、ゆるみやずれが生じているものだが、君主にそれを知るすべがなければ、それこそ人に縛られ脅かされ、覆い隠される始まりとなる。耳と目の届く範囲はこれほど狭く、君主の受け持つ範囲はこれほど広い。その中身を知らずにはいられない。これほど危ういことはない。ではどうやって知ればよいのか。答えて言う、身近な側近こそ、君主が遠くをうかがい、多くの情報を集めるための門であり窓である。早く備えておかねばならない。だから君主には必ず、信頼するに足る側近がいて初めてよいのである。その知恵は物事を測るに足り、その誠実さは物事を確定するに足りる。そうであって初めてよい。これを国の備えという。君主とて遊び休む時がないわけにはいかず、病気や事故という不測の事態も避けられない。そうしたとき、国というものは、湧き水のように次々と事案が押し寄せる。一つでも応じられなければ、それが乱れの始まりである。だから言う、君主は独りではいられない、と。宰相や補佐役は、君主にとっての土台であり杖である。早く備えておかねばならない。だから君主には必ず、任せるに足る宰相や補佐役がいて初めてよいのである。その言葉は民を安んじるに足り、その思慮はあらゆる変化に応じるに足りる。そうであって初めてよい。これを国の備えという。近隣の諸侯との交わりは、接触しないわけにはいかないが、必ずしも親しくなれるとはかぎらない。だから君主には必ず、遠方で意志を伝え疑いを決するに足る者がいて初めてよいのである。その弁舌は面倒を解くに足り、その思慮は疑いを決するに足り、その決断は難を防ぐに足り、任務を投げ出さず、君を裏切らず、迫る事態に応じ、わざわいを防ぎ、国家を保つに足りる。そうであって初めてよい。これを国の備えという。だから君主に信頼するに足る側近がいないことを、暗いという。任せるに足る宰相や補佐役がいないことを、独りという。近隣諸侯に遣わす使者が適任でないことを、孤という。孤で独りで暗いことを、危ういという。国は存続しているように見えても、いにしえの人はもう滅んでいると言うだろう。詩経に「多くの立派な士がいて、文王はそれで安らかであった」とあるのは、このことを言っている。