荀子 / 王覇篇
無國而不有治法,無國而不有亂法;無國而不有賢士,無國而不有罷士;無國而不有愿民,無國而不有悍民;無國而不有美俗,無國而不有惡俗。兩者並行而國在,上偏而國安,在下偏而國危;上一而王,下一而亡。故其法治,其佐賢,其民愿,其俗美,而四者齊,夫是之謂上一。如是則不戰而勝,不攻而得,甲兵不勞而天下服。故湯以亳,文王以鄗,皆百里之地也,天下為一,諸侯為臣,通達之屬,莫不從服,無它故焉,四者齊也。桀紂即厚於有天下之埶,索為匹夫而不可得也,是無它故焉,四者並亡也。故百王之法不同,若是所歸者一也。
新字:無国而不有治法,無国而不有乱法;無国而不有賢士,無国而不有罷士;無国而不有愿民,無国而不有悍民;無国而不有美俗,無国而不有悪俗。両者並行而国在,上偏而国安,在下偏而国危;上一而王,下一而亡。故其法治,其佐賢,其民愿,其俗美,而四者斉,夫是之謂上一。如是則不戦而勝,不攻而得,甲兵不労而天下服。故湯以亳,文王以鄗,皆百里之地也,天下為一,諸侯為臣,通達之属,莫不従服,無它故焉,四者斉也。桀紂即厚於有天下之埶,索為匹夫而不可得也,是無它故焉,四者並亡也。故百王之法不同,若是所歸者一也。
書き下し
国として治法有らざるは無く、国として乱法有らざるは無し。国として賢士有らざるは無く、国として罷士有らざるは無し。国として愿民有らざるは無く、国として悍民有らざるは無し。国として美俗有らざるは無く、国として悪俗有らざるは無し。両者並び行われて国在り。上に偏すれば国安く、下に偏すれば国危うし。上に一なれば王たり、下に一なれば亡ぶ。故に其の法治まり、其の佐賢に、其の民愿に、其の俗美にして、四者斉しき、夫れ是れを之れ上に一なりと謂う。是くの如くんば則ち戦わずして勝ち、攻めずして得、甲兵労せずして天下服す。故に湯は亳を以てし、文王は鄗を以てし、皆な百里の地なるも、天下を一と為し、諸侯を臣と為し、通達の属、従服せざるは莫し。它の故無し、四者斉しければなり。桀・紂は即ち天下の埶を有つに厚きも、匹夫たらんことを索めて得べからざるなり。是れ它の故無し、四者並びに亡べばなり。故に百王の法は同じからざるも、是くの若く帰する所は一なり。
現代語訳
どの国にも治める法はあり、どの国にも乱す法はある。どの国にも賢い士はおり、どの国にも役立たずの士もいる。どの国にも実直な民はおり、どの国にも荒々しい民もいる。どの国にも美しい風俗はあり、どの国にも悪い風俗もある。この両方がともにあってこそ国は成り立つ。良いほうに偏れば国は安らかで、悪いほうに偏れば国は危うい。良いほうで統一されれば王者となり、悪いほうで統一されれば滅びる。だから法が治まり、補佐役が賢く、民が実直で、風俗が美しい。この四つがそろうことを「良いほうで統一された」という。そうなれば戦わずして勝ち、攻めずして得られ、武具や兵をわずらわせずとも天下が従う。だから湯王は亳を、文王は鎬を根拠地とし、どちらもわずか百里の土地であったが、天下を一つにまとめ、諸侯を臣とし、行き来のできるかぎりの人々で従わない者はなかった。ほかに理由はない、四つがそろっていたからである。桀王や紂王は天下を治める勢力を十分すぎるほど持っていたのに、ただの庶民に戻りたいと願ってもかなわなかった。ほかに理由はない、四つとも失っていたからである。だから歴代の王の法は同じではないが、行き着くところは一つなのである。