荀子 / 王覇篇
羿、蜂門者,善服射者也;王良、造父者,善服馭者也。聰明君子者,善服人者也。人服而埶從之,人不服而埶去之,故王者已於服人矣。故人主欲得善射,射遠中微,則莫若羿、蜂門矣;欲得善馭,及速致遠,則莫若王良、造父矣。欲得調壹天下,制秦楚,則莫若聰明君子矣。其用知甚簡,其為事不勞,而功名致大,甚易處而極可樂也。故明君以為寶,而愚者以為難。夫貴為天子,富有天下,名為聖王,兼制人,人莫得而制也,是人情之所同欲也,而王者兼而有是者也。重色而衣之,重味而食之,重財物而制之,合天下而君之,飲食甚厚,聲樂甚大,臺謝甚高,園囿甚廣,臣使諸侯,一天下,是又人情之所同欲也,而天子之禮制如是者也。制度以陳,政令以挾,官人失要則死,公侯失禮則幽,四方之國,有侈離之德則必滅,名聲若日月,功績如天地,天下之人應之如景嚮,是又人情之所同欲也,而王者兼而有是者也。故人之情,口好味,而臭味莫美焉;耳好聲,而聲樂莫大焉;目好色,而文章致繁,婦女莫眾焉;形體好佚,而安重閒靜莫愉焉;心好利,而穀祿莫厚焉。合天下之所同願兼而有之,睪牢天下而制之若制子孫,人苟不狂惑戇陋者,其誰能睹是而不樂也哉!欲是之主,並肩而存;能建是之士,不世絕;千歲而不合,何也?曰:人主不公,人臣不忠也。人主則外賢而偏舉,人臣則爭職而妒賢,是其所以不合之故也。人主胡不廣焉,無卹親疏,無偏貴賤,惟誠能之求?若是,則人臣輕職業讓賢,而安隨其後。如是,則舜禹還至,王業還起;功壹天下,名配舜禹,物由有可樂,如是其美焉者乎!嗚呼!君人者,亦可以察若言矣。楊朱哭衢涂,曰:「此夫過舉蹞步,而覺跌千里者夫!」哀哭之。此亦榮辱、安危、存亡之衢已,此其為可哀,甚於衢涂。嗚呼!哀哉!君人者,千歲而不覺也。
新字:羿、蜂門者,善服射者也;王良、造父者,善服馭者也。聰明君子者,善服人者也。人服而埶従之,人不服而埶去之,故王者已於服人矣。故人主欲得善射,射遠中微,則莫若羿、蜂門矣;欲得善馭,及速致遠,則莫若王良、造父矣。欲得調壱天下,制秦楚,則莫若聰明君子矣。其用知甚簡,其為事不労,而功名致大,甚易処而極可楽也。故明君以為宝,而愚者以為難。夫貴為天子,富有天下,名為聖王,兼制人,人莫得而制也,是人情之所同欲也,而王者兼而有是者也。重色而衣之,重味而食之,重財物而制之,合天下而君之,飲食甚厚,声楽甚大,台謝甚高,園囿甚広,臣使諸侯,一天下,是又人情之所同欲也,而天子之礼制如是者也。制度以陳,政令以挟,官人失要則死,公侯失礼則幽,四方之国,有侈離之徳則必滅,名声若日月,功績如天地,天下之人応之如景嚮,是又人情之所同欲也,而王者兼而有是者也。故人之情,口好味,而臭味莫美焉;耳好声,而声楽莫大焉;目好色,而文章致繁,婦女莫衆焉;形体好佚,而安重閒静莫愉焉;心好利,而穀禄莫厚焉。合天下之所同願兼而有之,睪牢天下而制之若制子孫,人苟不狂惑戇陋者,其誰能睹是而不楽也哉!欲是之主,並肩而存;能建是之士,不世絶;千歳而不合,何也?曰:人主不公,人臣不忠也。人主則外賢而偏舉,人臣則争職而妬賢,是其所以不合之故也。人主胡不広焉,無卹親疏,無偏貴賤,惟誠能之求?若是,則人臣軽職業譲賢,而安随其後。如是,則舜禹還至,王業還起;功壱天下,名配舜禹,物由有可楽,如是其美焉者乎!嗚呼!君人者,亦可以察若言矣。楊朱哭衢涂,曰:「此夫過舉蹞歩,而覚跌千里者夫!」哀哭之。此亦栄辱、安危、存亡之衢已,此其為可哀,甚於衢涂。嗚呼!哀哉!君人者,千歳而不覚也。
書き下し
羿・蜂門なる者は、善く射を服する者なり。王良・造父なる者は、善く馭を服する者なり。聡明の君子なる者は、善く人を服する者なり。人服して埶之に従い、人服せずして埶之を去る、故に王者は人を服するに已まる。故に人主善射を得んと欲し、遠きを射て微なるに中てんとせば、則ち羿・蜂門に若くは莫し。善馭を得んと欲し、速きに及び遠きを致さんとせば、則ち王良・造父に若くは莫し。天下を調え壱にし、秦・楚を制せんと欲せば、則ち聡明の君子に若くは莫し。其の知を用うること甚だ簡にして、其の事を為すこと労せず、而も功名は致めて大なり、甚だ処り易くして極めて楽しむべきなり。故に明君は以て宝と為し、愚者は以て難しと為す。夫れ貴くして天子と為り、富みて天下を有ち、名は聖王と為り、兼ねて人を制して、人得て制すること莫し、是れ人情の同じく欲する所にして、王者は兼ねて是れを有つ者なり。色を重ねて之を衣、味を重ねて之を食い、財物を重ねて之を制し、天下を合して之に君たり、飲食は甚だ厚く、声楽は甚だ大に、台謝は甚だ高く、園囿は甚だ広く、諸侯を臣使し、天下を一にす、是れ又た人情の同じく欲する所にして、天子の礼制は是くの如き者なり。制度以て陳ね、政令以て挾む、官人要を失えば則ち死し、公侯礼を失えば則ち幽せらる。四方の国、侈離の徳有らば則ち必ず滅ぶ。名声は日月の若く、功績は天地の如く、天下の人之に応ずること景嚮の如し、是れ又た人情の同じく欲する所にして、王者は兼ねて是れを有つ者なり。故に人の情、口は味を好みて、臭味焉より美なるは莫し。耳は声を好みて、声楽焉より大なるは莫し。目は色を好みて、文章は繁を致し、婦女焉より衆きは莫し。形体は佚を好みて、安重閒静焉より愉しきは莫し。心は利を好みて、穀禄焉より厚きは莫し。天下の同じく願う所を合して兼ねて之を有ち、天下を睪牢して之を制すること子孫を制するが若し。人苟くも狂惑戇陋なる者に非ざれば、其れ誰か能く是れを睹て楽しまざらんや。是れを欲するの主は、肩を並べて存す。是れを建つるを能くするの士は、世よ絶えず。千歳にして合わざるは、何ぞや。曰く、人主は公ならず、人臣は忠ならざればなり。人主は則ち賢を外にして偏り挙げ、人臣は則ち職を争いて賢を妒む、是れ其の合わざる所以の故なり。人主胡ぞ広からざる、親疎を卹うこと無く、貴賎に偏ること無く、惟だ誠に能なるをのみ之れ求めん。是くの若くんば、則ち人臣は職業を軽んじて賢に譲り、安んじて其の後に随わん。是くの如くんば、則ち舜・禹還ち至り、王業還ち起こらん。功は天下を壱にし、名は舜・禹に配す。物由お楽しむべき有らんや、是くの如く其れ美なる者あらんや。嗚呼、人に君たる者、亦た以て若き言を察すべし。楊朱は衢涂に哭して曰く、「此れ夫れ蹞歩を過挙して、跌くこと千里なるを覚る者かな」と。哀しみて之を哭す。此れ亦た栄辱・安危・存亡の衢のみ、此れ其の哀しむべきと為すこと、衢涂よりも甚だし。嗚呼、哀しいかな。人に君たる者、千歳にして覚らざるなり。
現代語訳
羿と蜂門は、弓射を思いのままにした者である。王良と造父は、馬車の御を思いのままにした者である。聡明な君子は、人を心服させることに長けた者である。人が心服すれば勢いはついてきて、人が心服しなければ勢いは離れていく。だから王者は人を心服させることに尽きるのである。君主が名射手を得て、遠くの的の細かい点を射抜きたいと思えば、羿や蜂門に及ぶ者はない。名御者を得て、速く遠くまで行きたいと思えば、王良や造父に及ぶ者はない。天下を調えて一つにし、秦や楚を抑えたいと思えば、聡明な君子に及ぶ者はない。彼らは知恵の使い方が極めて簡潔で、仕事の進め方も骨が折れないのに、功績と名声は極めて大きい。実に扱いやすく、この上なく楽しめる相手である。だから聡明な君主は彼らを宝とし、愚かな者は彼らを扱いにくいと思う。そもそも尊くて天子となり、富んで天下を持ち、名は聖王と呼ばれ、人を制して人からは制されない。これは人情として誰もが望むところであり、王者はそのすべてを併せ持つ。何重にも染めた衣を着、幾重にも味を凝らした食事をとり、多くの財物を思うままにし、天下を合わせて君主となる。飲食は豊かで、音楽は盛大で、高殿は高く、庭園は広く、諸侯を臣として使い、天下を一つにする。これも人情として誰もが望むところであり、天子の礼制はこのようになっている。制度が並べられ、政令が行きわたり、役人が要を失えば死罪となり、公侯が礼を失えば幽閉される。四方の国も、勝手にそむく心があれば必ず滅ぼされる。名声は日月のようで、功績は天地のようで、天下の人が影や響きのようにこれに応じる。これも人情として誰もが望むところであり、王者はそのすべてを併せ持つ。人の情として、口は味を好むが、これほど美味なものはない。耳は音を好むが、これほど盛大な音楽はない。目は色を好むが、これほど華やかな文様も多くの女性もない。体は安楽を好むが、これほど落ち着いた静けさはない。心は利を好むが、これほど厚い俸禄はない。天下の人が等しく願うものをすべて併せ持ち、天下を囲い込んで我が子や孫を扱うように治める。よほど狂ったり愚かだったりしなければ、これを見て楽しまない者があろうか。これを望む君主は肩を並べるほど大勢いる。これを実現できる士も、代々絶えることはない。それでも千年のあいだ両者が出会わないのはなぜか。答えて言う。君主が公平でなく、臣下が忠実でないからである。君主は賢者を遠ざけて偏った登用をし、臣下は職を争って賢者をねたむ。これが両者の出会わない理由である。君主はなぜ心を広く持ち、親疎を問わず、身分に偏らず、ただ本当に有能かどうかだけを求めないのか。そうすれば臣下も自分の職に固執せず賢者に譲り、安んじてその後に従うだろう。そうなれば舜や禹がたちまち現れ、王業はたちまち起こる。功は天下を一つにし、名は舜・禹に並ぶ。これほど楽しむべきこと、これほど見事なことが他にあろうか。ああ、君主たる者はこの言葉をよく考えるべきだ。楊朱は分かれ道で泣いて言った、「ここで半歩踏み違えれば、気づいたときには千里も食い違っているのだ」と。そして悲しんで泣いた。今まさにここが栄辱・安危・存亡の分かれ道である。その悲しむべきさまは、あの分かれ道の比ではない。ああ、悲しいことだ。君主たる者は、千年たっても気づかないのである。
解説
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