荀子 / 王覇篇
三者明主之所以謹擇也,而仁人之所以務白也。善擇者制人,不善擇者人制之。
新字:三者明主之所以謹択也,而仁人之所以務白也。善択者制人,不善択者人制之。
書き下し
三者は明主の謹んで択ぶ所以なり、而して仁人の白らかにするを務むる所以なり。善く択ぶ者は人を制し、善く択ばざる者は人之を制す。
現代語訳
この三つの路線こそ、聡明な君主が慎重に選び分けるところであり、仁者がはっきりさせようと努めるところである。うまく選ぶ者は人を思いどおりに動かし、うまく選べない者は人に動かされる。
解説
義・信・権謀という三つの路線の話をここで一度締めくくる、短い要約の段です。荀子はこれを君主の「選択」の問題として提示します。国の運命は偶然や天命で決まるのではなく、どの原理で国を動かすかという一点の選び方で決まる、という強い主張です。そして「善く択ぶ者は人を制し、善く択ばざる者は人に制せらる」。主導権を握るか、状況に振り回されるかは、選択の質で決まる、と言い切ります。この一文は組織にも個人にもそのまま当てはまります。何をやるかを決めるとき、私たちはつい目の前の損得や、周囲の空気で選んでしまいがちです。しかし、どの原則で動くかを自分で選び取っていないと、結局は他人の都合に乗せられ、後から「そうするしかなかった」と言い訳することになります。選ぶ基準を先に持っておくこと。それが主導権を保つ唯一の方法だ、と荀子は繰り返し念を押しています。
この章句が説くこと
選択の質主導権明主の慎重さ原則で決める誠実さリーダーシップ
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