荀子 / 富国篇
故古人為之不然:使民夏不宛喝,冬不凍寒,急不傷力,緩不後時,事成功立,上下俱富;而百姓皆愛其上,人歸之如流水,親之歡如父母,為之出死斷亡而愉者,無它故焉,忠信、調和、均辨之至也。故國君長民者,欲趨時遂功,則和調累解,速乎急疾;忠信均辨,說乎慶賞矣;必先脩正其在我者,然後徐責其在人者,威乎刑罰。三德者誠乎上,則下應之如景嚮,雖欲無明達,得乎哉!《書》曰:「乃大明服,惟民其力懋,和而有疾。」此之謂也。
新字:故古人為之不然:使民夏不宛喝,冬不凍寒,急不傷力,緩不後時,事成功立,上下倶富;而百姓皆愛其上,人帰之如流水,親之歓如父母,為之出死断亡而愉者,無它故焉,忠信、調和、均弁之至也。故国君長民者,欲趨時遂功,則和調累解,速乎急疾;忠信均弁,説乎慶賞矣;必先脩正其在我者,然後徐責其在人者,威乎刑罰。三徳者誠乎上,則下応之如景嚮,雖欲無明達,得乎哉!《書》曰:「乃大明服,惟民其力懋,和而有疾。」此之謂也。
書き下し
故に古人の之を為すや然らず。民をして夏に宛喝せず、冬に凍寒せず、急にして力を傷らず、緩にして時に後れざらしむ。事成り功立ちて、上下俱に富む。而して百姓は皆な其の上を愛し、人の之に歸すること流水の如く、之に親しみ歡ぶこと父母の如く、之が為に死を出し亡を斷ちて愉しむ者は、它の故無し、忠信・調和・均辨の至れるなり。故に國君民に長たる者、時に趨り功を遂げんと欲せば、則ち和調累解は、急疾よりも速やかなり。忠信均辨は、慶賞よりも説ばし。必ず先ず其の我に在る者を脩正し、然る後に徐ろに其の人に在る者を責むれば、刑罰よりも威あり。三徳なる者上に誠あれば、則ち下之に應ずること景嚮の如し。明達せざらんと欲すと雖も、得んや。書に曰く、乃ち大いに明らかにして服す、惟れ民其れ力めて懋み、和して疾き有り、と。此れの謂いなり。
現代語訳
だから古人のやり方はそうではなかった。民が夏に暑さで倒れず、冬に凍えず、急がせても体を痛めず、ゆるめても時季に遅れないようにした。仕事は仕上がり成果は立ち、上も下もともに富む。そして民衆は皆その上に立つ者を愛し、人が集まってくることは水が流れ込むようであり、父母のように慕い喜び、その人のためには命を投げ出してさえ喜ぶ。これは他でもない、まごころと信義、調和、公平な扱いが行き届いているからである。だから国君となり民の長となる者が、時季に間に合わせて成果を上げようと思うなら、和を保って人の負担をほぐすほうが、追い立てて急がせるより速い。まごころと信義と公平な扱いは、褒賞よりも人を喜ばせる。まず自分自身のあり方を正し、そのうえでゆっくりと人に求めるほうが、刑罰よりも威力がある。この三つの徳が上にまことをもって備われば、下がそれに応じることは、影が形に従い、こだまが声に応じるようである。物事が明らかに行き渡らずにいようとしても、そうはいかない。書経に、大いに明らかにして人は服し、民は努め励み、和やかでありながら仕事は速い、とあるのは、このことを言っている。
解説
この章句が説くこと
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