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荀子 / 富国篇

墨子之言昭昭然為天下憂不足。夫不足非天下之公患也,特墨子之私憂過計也。今是土之生五穀也,人善治之,則畝數盆,一歲而再獲之。然後瓜桃棗李一本數以盆鼓;然後葷菜百疏以澤量;然後六畜禽獸一而剸車;黿、鼉、魚、鱉、鰍、鱣以時別,一而成群;然後飛鳥、鳧、雁若煙海;然後昆蟲萬物生其間,可以相食養者,不可勝數也。夫天地之生萬物也,固有餘,足以食人矣;麻葛繭絲、鳥獸之羽毛齒革也,固有餘,足以衣人矣。夫有餘不足,非天下之公患也,特墨子之私憂過計也。

新字:墨子之言昭昭然為天下憂不足。夫不足非天下之公患也,特墨子之私憂過計也。今是土之生五穀也,人善治之,則畝数盆,一歲而再獲之。然後瓜桃棗李一本数以盆鼓;然後葷菜百疏以沢量;然後六畜禽獣一而剸車;黿、鼉、魚、鱉、鰍、鱣以時別,一而成群;然後飛鳥、鳧、雁若煙海;然後昆虫万物生其間,可以相食養者,不可勝数也。夫天地之生万物也,固有余,足以食人矣;麻葛繭絲、鳥獣之羽毛齒革也,固有余,足以衣人矣。夫有余不足,非天下之公患也,特墨子之私憂過計也。

書き下し

墨子の言、昭昭然として天下の足らざるを憂う。夫れ足らざるは天下の公患に非ず、特だ墨子の私憂過計なるのみ。今是の土の五穀を生ずるや、人善く之を治むれば、則ち畝ごとに數盆、一歳にして再び之を獲ん。然る後、瓜桃棗李は一本にして數うるに盆鼓を以てす。然る後、葷菜百疏は澤を以て量る。然る後、六畜禽獸は一にして車に剸つ。黿・鼉・魚・鱉・鰍・鱣は時を以て別れ、一にして群を成す。然る後、飛鳥・鳧・雁は煙海の若し。然る後、昆蟲萬物は其の間に生じ、以て相い食養すべき者は、勝げて數うべからざるなり。夫れ天地の萬物を生ずるや、固より餘り有りて、以て人を食わしむるに足る。麻葛繭絲、鳥獸の羽毛齒革も、固より餘り有りて、以て人を衣しむるに足る。夫れ餘り有り足らざるは、天下の公患に非ず、特だ墨子の私憂過計なるのみ。

現代語訳

墨子の言は、いかにも明白なこととして天下の物資不足を憂えている。しかし不足は天下共通の心配ごとではなく、ただ墨子ひとりの取り越し苦労にすぎない。今この土地が五穀を生むにあたり、人がうまく手をかければ、一畝からいくつもの盆に盛るほどの収穫があり、一年に二度も収穫できる。そのうえ瓜や桃や棗や李は一本の木から盆や鼓に何杯分もとれる。香りの強い菜も百種の野菜も、沢いっぱいの量で数える。牛馬羊などの家畜や鳥獣は、一頭で車に積みきれぬほどになる。すっぽん、わに、魚、かめ、どじょう、ちょうざめは時季ごとに分かれ、一つがりで群れをなす。飛ぶ鳥や鴨や雁は、煙のように、海のように多い。さらに昆虫やあらゆる生きものがその間に生まれ、互いに食べて養い合うものは数えきれないほどである。そもそも天地が万物を生む力にはもともと余りがあり、人を食わせるに十分である。麻や葛や繭や絹、鳥獣の羽毛や歯や皮革にも、もともと余りがあり、人に衣を着せるに十分である。だから余るか足りないかということは、天下共通の心配ごとではなく、ただ墨子ひとりの取り越し苦労にすぎないのだ。

解説

ここから荀子の墨子批判が本格的に始まります。墨子は物資が足りないことを最大の問題とし、だから節約せよ、音楽をやめよと説きました。荀子はその前提そのものを否定します。人がきちんと手をかければ大地は驚くほど豊かに実り、穀物も果実も野菜も家畜も魚も鳥も、食べきれないほど生まれる。衣類の材料も余るほどある。つまり不足は世界の本質ではなく、墨子ひとりの思い込みだ、というのです。荀子の立場は明快で、資源は絶対量として不足しているのではなく、うまく治めれば十分に豊かにできる、という生産と経営への信頼です。だから縮こまって耐えるのではなく、生み出す力を伸ばせと説く。私たちも、時間もお金も足りないと感じたとき、まず削ることから考えがちです。しかし本当に総量が足りないのか、それとも使い方や生み出し方に手を入れられるのか。問いの立て方を変えてみる価値があります。

この一句を、あなたの毎日に。

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