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荀子 / 王制篇

北海則有走馬吠犬焉,然而中國得而畜使之。南海則有羽翮、齒革、曾青、丹干焉,然而中國得而財之。東海則有紫紶、魚鹽焉,然而中國得而衣食之。西海則有皮革、文旄焉,然而中國得而用之。故澤人足乎木,山人足乎魚,農夫不斲削、不陶冶而足械用,工賈不耕田而足菽粟。故虎豹為猛矣,然君子剝而用之。故天之所覆,地之所載,莫不盡其美,致其用,上以飾賢良,下以養百姓而安樂之。夫是之謂大神。《詩》曰:「天作高山,大王荒之;彼作矣,文王康之。」此之謂也。

新字:北海則有走馬吠犬焉,然而中国得而畜使之。南海則有羽翮、齒革、曽青、丹干焉,然而中国得而財之。東海則有紫紶、魚塩焉,然而中国得而衣食之。西海則有皮革、文旄焉,然而中国得而用之。故沢人足乎木,山人足乎魚,農夫不斲削、不陶冶而足械用,工賈不耕田而足菽粟。故虎豹為猛矣,然君子剝而用之。故天之所覆,地之所載,莫不尽其美,致其用,上以飾賢良,下以養百姓而安楽之。夫是之謂大神。《詩》曰:「天作高山,大王荒之;彼作矣,文王康之。」此之謂也。

書き下し

北海には則ち走馬吠犬有り、然り而して中国は得て之を畜い使う。南海には則ち羽翮、歯革、曾青、丹干有り、然り而して中国は得て之を財とす。東海には則ち紫紶、魚塩有り、然り而して中国は得て之を衣食す。西海には則ち皮革、文旄有り、然り而して中国は得て之を用う。故に沢人は木に足り、山人は魚に足り、農夫は斲削せず、陶冶せずして械用に足り、工賈は田を耕さずして菽粟に足る。故に虎豹は猛と為すも、然れども君子は剥ぎて之を用う。故に天の覆う所、地の載する所、其の美を尽くし、其の用を致さざる莫く、上は以て賢良を飾り、下は以て百姓を養いて之を安楽せしむ。夫れ是れを之れ大神と謂う。詩に曰く、天高山を作り、大王之を荒く。彼れ作り、文王之を康んず、と。此れを之れ謂うなり。

現代語訳

北の海のあたりには足の速い馬や吠える犬がいる。それでも中国はこれを手に入れて飼い、使うことができる。南の海のあたりには鳥の羽、象牙や皮革、青い顔料や朱の顔料がある。それでも中国はこれを手に入れて財貨とする。東の海のあたりには紫の染め布や魚と塩がある。それでも中国はこれを手に入れて着るものや食べ物とする。西の海のあたりには毛皮や革、模様のあるヤクの尾がある。それでも中国はこれを手に入れて用いる。だから沢に住む人も木材に不自由せず、山に住む人も魚に不自由せず、農夫は木を削らず金属を鋳ないのに道具に不自由せず、職人や商人は田を耕さないのに豆や穀物に不自由しない。虎や豹は猛獣であるが、それでも君子はその皮を剥いで用いる。だから天が覆い地が載せるもののうち、その美点を出しつくし、その用途を発揮しないものはない。上はそれで賢く善良な者を飾り、下はそれで人民を養って安らかに楽しませる。これを大いなる神妙のはたらきという。詩経に「天は高い山を作り、太王がこれを開墾した。彼が作り上げ、文王がこれを安らかにした」とあるのは、このことである。

解説

四方の産物が中央に集まり、行きわたっていく様子を並べた段です。北の馬、南の顔料、東の魚と塩、西の毛皮。それぞれの土地でしか採れないものが交換によって流通するから、沢に住む人が木材に困らず、山に住む人が魚を食べられ、農夫は道具を作らずに道具を得、職人や商人は耕さずに穀物を得る。分業と交換の力を、これほど鮮やかに描いた文章はそう多くありません。荀子はこれを「大神」、大いなる神妙のはたらきと呼びます。ここで見落とせないのは、この流通が自然に生じるのではなく、前段の税制や制度によって支えられているという構図です。私たちの暮らしも、顔も知らない誰かの仕事の積み重ねで成り立っています。自分の持ち場でよいものを出しつくすことが、遠くの誰かの不自由を解いている。その実感を持てるかどうかで、日々の仕事の意味は変わってきます。

この一句を、あなたの毎日に。

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