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荀子 / 儒効篇

君子言有壇宇,行有防表,道有一隆。言政治之求,不下於安存;言志意之求,不下於士;言道德之求,不二後王。道過三代謂之蕩,法二後王謂之不雅。高之下之,小之臣之,不外是矣。是君子之所以騁志意於壇宇宮廷也。故諸侯問政,不及安存,則不告也。匹夫問學,不及為士,則不教也。百家之說,不及後王,則不聽也。夫是之謂君子言有壇宇,行有防表也。

新字:君子言有壇宇,行有防表,道有一隆。言政治之求,不下於安存;言志意之求,不下於士;言道徳之求,不二後王。道過三代謂之蕩,法二後王謂之不雅。高之下之,小之臣之,不外是矣。是君子之所以騁志意於壇宇宮廷也。故諸侯問政,不及安存,則不告也。匹夫問學,不及為士,則不教也。百家之説,不及後王,則不聴也。夫是之謂君子言有壇宇,行有防表也。

書き下し

君子は言に壇宇有り、行いに防表有り、道に一隆有り。政治の求めを言えば、安存に下らず。志意の求めを言えば、士に下らず。道徳の求めを言えば、後王に二たびせず。道の三代を過ぐる、之を蕩と謂う。法の後王に二たびする、之を不雅と謂う。之を高くし之を下し、之を小にし之を臣とするも、是を外れざるなり。是れ君子の志意を壇宇宮廷に騁する所以なり。故に諸侯政を問うに、安存に及ばざれば、則ち告げざるなり。匹夫学を問うに、士と為るに及ばざれば、則ち教えざるなり。百家の説、後王に及ばざれば、則ち聴かざるなり。夫れ是を之れ君子は言に壇宇有り、行いに防表有りと謂うなり。

現代語訳

君子の言葉には土台と屋敷のような定まった場があり、行いには堤や目印のような限りがあり、道にはただ一つ尊ぶべきものがある。政治についての求めを語るなら、国を安らかに保ち存続させるという水準より下には下げない。志についての求めを語るなら、士たるという水準より下には下げない。道徳についての求めを語るなら、後世の王のやり方から二重にぶれることはない。道が三代よりさかのぼりすぎるのを、とりとめがないという。法が後世の王から二つに分かれるのを、正しくないという。これを高くしようと低くしようと、小さくしようと臣従させようと、この枠を外れることはない。これこそ君子が、その定まった場のなかで思う存分に志を走らせられるゆえんである。だから諸侯が政治を問うても、国を安らかに保ち存続させるという水準に達していなければ、答えない。庶民が学問を問うても、士となるという水準に達していなければ、教えない。諸家の学説も、後世の王のやり方に届いていなければ、聞き入れない。これを、君子の言葉には定まった場があり、行いには限りがある、というのである。

解説

儒効篇の締めくくりは、君子の「枠」の話です。言葉には語るべき場があり、行いには越えない限りがあり、道には一つだけ尊ぶものがある。だから政治を語るなら国を保つ水準より下げず、志を語るなら士たる水準より下げず、道徳を語るなら基準を二重にしない。水準に達していない問いには答えず、教えず、聞かない、とまで言い切ります。一見すると狭量ですが、荀子はその直後に大事なことを付け加えます。枠があるからこそ、君子はその中で思う存分に志を走らせられるのだ、と。制限は自由の反対ではなく、自由の条件だという見方です。これは私たちの働き方にも当てはまります。何でも引き受け、何にでも意見を言えば、力は薄まって散ります。語る領域を決め、越えない線を引き、判断の基準を一つに保つ。枠を先に定めておくことで、その内側で全力を出せるようになるのです。

この一句を、あなたの毎日に。

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