荀子 / 儒効篇
故積土而為山,積水而為海,旦暮積謂之歲,至高謂之天,至下謂之地,宇中六指謂之極,涂之人百姓,積善而全盡,謂之聖人。彼求之而後得,為之而後成,積之而後高,盡之而後聖,故聖人也者,人之所積也。人積耨耕而為農夫,積斲削而為工匠,積反貨而為商賈,積禮義而為君子。工匠之子,莫不繼事,而都國之民安習其服,居楚而楚,居越而越,居夏而夏,是非天性也,積靡使然也。故人知謹注錯,慎習俗,大積靡,則為君子矣。縱情性而不足問學,則為小人矣;為君子則常安榮矣,為小人則常危辱矣。凡人莫不欲安榮而惡危辱,故唯君子為能得其所好,小人則日徼其所惡。《詩》曰:「維此良人,弗求弗迪;唯彼忍心,是顧是復。民之貪亂,寧為荼毒。」此之謂也。
新字:故積土而為山,積水而為海,旦暮積謂之歲,至高謂之天,至下謂之地,宇中六指謂之極,涂之人百姓,積善而全尽,謂之聖人。彼求之而後得,為之而後成,積之而後高,尽之而後聖,故聖人也者,人之所積也。人積耨耕而為農夫,積斲削而為工匠,積反貨而為商賈,積礼義而為君子。工匠之子,莫不継事,而都国之民安習其服,居楚而楚,居越而越,居夏而夏,是非天性也,積靡使然也。故人知謹注錯,慎習俗,大積靡,則為君子矣。縦情性而不足問學,則為小人矣;為君子則常安栄矣,為小人則常危辱矣。凡人莫不欲安栄而悪危辱,故唯君子為能得其所好,小人則日徼其所悪。《詩》曰:「維此良人,弗求弗迪;唯彼忍心,是顧是復。民之貪乱,寧為荼毒。」此之謂也。
書き下し
故に土を積みて山と為り、水を積みて海と為り、旦暮積むを之れ歳と謂い、至高を之れ天と謂い、至下を之れ地と謂い、宇中の六指を之れ極と謂う。涂の人・百姓も、善を積みて全く尽くせば、之を聖人と謂う。彼れ之を求めて而る後に得、之を為して而る後に成り、之を積みて而る後に高く、之を尽くして而る後に聖なり。故に聖人なる者は、人の積む所なり。人は耨耕を積みて農夫と為り、斲削を積みて工匠と為り、反貨を積みて商賈と為り、礼義を積みて君子と為る。工匠の子は、事を継がざる莫く、都国の民は安んじて其の服に習う。楚に居れば楚となり、越に居れば越となり、夏に居れば夏となる。是れ天性に非ざるなり、積靡の然らしむるなり。故に人謹んで注錯し、慎んで習俗し、大いに積靡するを知れば、則ち君子と為らん。情性を縦にして問学するに足らざれば、則ち小人と為らん。君子と為れば則ち常に安栄なり、小人と為れば則ち常に危辱なり。凡そ人は安栄を欲して危辱を悪まざる莫し。故に唯だ君子のみ能く其の好む所を得、小人は則ち日に其の悪む所を徼む。詩に曰く、維れ此の良人、求めず迪かず、唯だ彼の忍心、是れ顧み是れ復す。民の乱を貪る、寧ろ荼毒を為す、と。此を之れ謂うなり。
現代語訳
だから、土を積み重ねて山となり、水を積み重ねて海となり、朝と夕を積み重ねたものを年といい、この上なく高いところを天といい、この上なく低いところを地といい、天地四方の六方向のはてを極という。道行く普通の人、名もない民衆でも、善を積み重ねてそれを完全にやり通せば、その人を聖人と呼ぶ。彼らは求めてはじめて得、行ってはじめて成し、積んではじめて高くなり、やり尽くしてはじめて聖となったのだ。だから聖人とは、人が積み重ねてなるものである。人は田を耕すことを積み重ねて農夫となり、木を削ることを積み重ねて職人となり、品物を売り買いすることを積み重ねて商人となり、礼義を積み重ねて君子となる。職人の子はその仕事を継がないことがなく、都や国の民はそこの習わしに落ち着いて慣れる。楚に住めば楚の人となり、越に住めば越の人となり、中原に住めば中原の人となる。これは生まれつきではなく、積み重ねと習慣がそうさせるのである。だから人が、身の置きどころを慎み、習わしを慎み、大いに積み重ねることを知るならば、君子となるだろう。感情や欲望のままに振る舞い、学問に向かおうとしないなら、小人となるだろう。君子となれば常に安らかで栄えあり、小人となれば常に危うく辱められる。およそ人は誰でも安らかで栄えあることを望み、危うく辱められることを憎まない者はない。それなのに、君子だけがその望むものを得、小人は日ごとにその憎むものを招き寄せる。詩経に「あの善い人を、求めもせず用いもせず、ただあの無慈悲な者ばかりを、振り返り振り返り取り立てる。民が乱を望むのは、いっそ苦しみのほうがましだと思うからだ」とあるのは、このことをいうのである。