荀子 / 儒効篇
我欲賤而貴,愚而智,貧而富,可乎?曰:其唯學乎。彼學者,行之,曰士也;敦慕焉,君子也;知之,聖人也。上為聖人,下為士、君子,孰禁我哉!鄉也混然涂之人也,俄而並乎堯禹,豈不賤而貴矣哉!鄉也效門室之辨,混然曾不能決也,俄而原仁義,分是非,圓回天下於掌上,而辯黑白,豈不愚而知矣哉!鄉也胥靡之人,俄而治天下之大器舉在此,豈不貧而富矣哉!今有人於此,屑然藏千溢之寶,雖行貣而食,人謂之富矣。彼寶也者,衣之不可衣也,食之不可食也,賣之不可僂售也,然而人謂之富,何也?豈不大富之器誠在此也?是杅杅亦富人已,豈不貧而富矣哉!故君子無爵而貴,無祿而富,不言而信,不怒而威,窮處而榮,獨居而樂!豈不至尊、至富、至重、至嚴之情舉積此哉!
新字:我欲賤而貴,愚而智,貧而富,可乎?曰:其唯學乎。彼學者,行之,曰士也;敦慕焉,君子也;知之,聖人也。上為聖人,下為士、君子,孰禁我哉!鄉也混然涂之人也,俄而並乎堯禹,豈不賤而貴矣哉!鄉也効門室之辨,混然曽不能決也,俄而原仁義,分是非,円回天下於掌上,而辯黒白,豈不愚而知矣哉!鄉也胥靡之人,俄而治天下之大器舉在此,豈不貧而富矣哉!今有人於此,屑然蔵千溢之宝,雖行貣而食,人謂之富矣。彼宝也者,衣之不可衣也,食之不可食也,売之不可僂售也,然而人謂之富,何也?豈不大富之器誠在此也?是杅杅亦富人已,豈不貧而富矣哉!故君子無爵而貴,無祿而富,不言而信,不怒而威,窮処而栄,独居而楽!豈不至尊、至富、至重、至厳之情舉積此哉!
書き下し
我れ賤しくして貴く、愚かにして智に、貧しくして富まんと欲す、可ならんか。曰く、其れ唯だ学か。彼の学ぶ者、之を行えば、士と曰うなり。焉れに敦く慕えば、君子なり。之を知れば、聖人なり。上は聖人と為り、下は士・君子と為る、孰か我を禁ぜんや。郷には混然たる涂の人なるに、俄かにして堯・禹に並ぶ、豈に賤しくして貴からずや。郷には門室の弁を効すも、混然として曾て決すること能わざるに、俄かにして仁義に原づき、是非を分かち、天下を掌上に円回して、黒白を弁ず、豈に愚にして知ならずや。郷には胥靡の人なるに、俄かにして天下を治むるの大器挙て此に在り、豈に貧しくして富まずや。今茲に人有り、屑然として千溢の宝を蔵すれば、行貣して食らうと雖も、人之を富めりと謂う。彼の宝なる者は、之を衣んとするも衣るべからず、之を食らわんとするも食らうべからず、之を売らんとするも僂かに售るべからず。然れども人之を富めりと謂うは何ぞや。豈に大富の器誠に此に在らずや。是れ杅杅として亦た富人なるのみ、豈に貧しくして富まずや。故に君子は爵無くして貴く、禄無くして富み、言わずして信ぜられ、怒らずして威あり、窮処して栄え、独居して楽しむ。豈に至尊・至富・至重・至厳の情、挙て此に積もらずや。
現代語訳
私は身分が低いのに貴くなり、愚かなのに賢くなり、貧しいのに豊かになりたい。そんなことができるだろうか。答えて言う。それはただ学ぶことによってのみ可能である。学ぶ者がそれを実行すれば士と呼ばれ、それを厚く慕い求めれば君子となり、それを本当に知り抜けば聖人となる。上は聖人となり、下は士や君子となる。誰が私にそれを禁じられようか。以前はぼんやりとした道行く人にすぎなかったのに、たちまち堯や禹に肩を並べる。これが身分が低いのに貴くなるということではないか。以前は家の内と外の区別をつけようとしても、ぼんやりして決められなかったのに、たちまち仁義を根本に据え、是と非を分け、天下を手のひらの上で転がすように扱い、白黒を判断する。これが愚かなのに賢くなるということではないか。以前は苦役に服する身だったのに、たちまち天下を治める大きな器がすべてわが身に備わる。これが貧しいのに富むということではないか。いまここに人がいて、大切に千鎰もの宝を蔵していれば、たとえ物乞いをして食べていても、人は彼を富んでいると言う。その宝というものは、着ようとしても着られず、食べようとしても食べられず、売ろうとしてもすぐには売れない。それなのに人が彼を富んでいると言うのはなぜか。大いに富む元手が本当にそこにあるからではないか。この人はたっぷりと富んだ人なのであって、これが貧しいのに富むということではないか。だから君子は、爵位がなくても貴く、俸禄がなくても富み、多くを語らなくても信じられ、怒らなくても威厳があり、困窮していても栄えあり、独りでいても楽しい。この上ない尊さ、この上ない豊かさ、この上ない重み、この上ない厳かさが、すべてここに積み重なっているではないか。