荀子 / 仲尼篇
然而仲尼之門人,五尺之豎子,言羞稱五伯,是何也?曰:然!彼非本政教也,非致隆高也,非綦文理也,非服人之心也。鄉方略,審勞佚,畜積脩鬥,而能顛倒其敵者也。詐心以勝矣。彼以讓飾爭,依乎仁而蹈利者也,小人之傑也,彼固曷足稱乎大君子之門哉!
新字:然而仲尼之門人,五尺之豎子,言羞稱五伯,是何也?曰:然!彼非本政教也,非致隆高也,非綦文理也,非服人之心也。鄉方略,審労佚,畜積脩鬥,而能顛倒其敵者也。詐心以勝矣。彼以譲飾争,依乎仁而蹈利者也,小人之傑也,彼固曷足稱乎大君子之門哉!
書き下し
然り而して仲尼の門人は、五尺の豎子も、言えば五伯を称するを羞ずとは、是れ何ぞや。曰く、然り。彼は政教を本とするに非ざるなり。隆高を致すに非ざるなり。文理を綦むるに非ざるなり。人の心を服せしむるに非ざるなり。方略に郷き、労佚を審らかにし、畜積し鬥いを脩めて、能く其の敵を顛倒する者なり。詐心もて以て勝てり。彼は譲を以て争いを飾り、仁に依りて利を蹈む者なり。小人の傑なり。彼固より曷ぞ大君子の門に称するに足らんや。
現代語訳
それでもなお、孔子の門下では背丈五尺の子どもでさえ、口に出して五覇をほめるのを恥じるという。それはなぜか。もっともなことだ。彼らは政治と教化を根本に据えたのではない。徳を高く盛り上げようとしたのではない。礼の筋目を極めたのではない。人々の心を内から従わせたのではない。彼らがやったのは、はかりごとに走り、味方の疲労と休息を計算し、物資を蓄え戦さの備えを整えて、敵をひっくり返すことである。いつわりの心で勝ったのだ。彼らは譲るふりで争いを飾り、仁によりかかりながら利益を踏み固めていった。要するに小人のなかの傑物である。そんな者を、どうして偉大な君子の門で口にする値打ちがあろうか。
解説
第二段で桓公の実力を認めたうえで、それでもなお覇者を尊べない理由を突き詰める一段です。荀子が挙げる欠落は四つ。政治と教化を根本に据えなかったこと、徳を高めなかったこと、礼の筋目を極めなかったこと、そして人の心を内から従わせなかったこと。覇者がやったのは、はかりごとと兵糧と軍備の計算で敵を倒すことでした。「譲を以て争いを飾り、仁に依りて利を蹈む」——譲るポーズで争いを覆い隠し、仁を看板にして利益を取りにいく、という一句が痛烈です。結論の「小人の傑」は、小人のなかの傑物という意味で、有能さは認めるが質としては小人だ、という強烈な位置づけです。掲げる理念と実際の目的が食い違っていないか。看板を利益の道具にしていないか。組織にも個人にも刺さる問いです。