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荀子 / 非十二子篇

弟陀其冠,衶禫其辭,禹行而舜趨:是子張氏之賤儒也。正其衣冠,齊其顏色,嗛然而終日不言、是子夏氏之賤儒也。偷儒憚事,無廉恥而耆飲食,必曰君子固不用力:是子游氏之賤儒也。彼君子則不然:佚而不惰,勞而不僈,宗原應變,曲得其宜,如是然後聖人也。

新字:弟陀其冠,衶禫其辞,禹行而舜趨:是子張氏之賤儒也。正其衣冠,斉其顏色,嗛然而終日不言、是子夏氏之賤儒也。偷儒憚事,無廉恥而耆飲食,必曰君子固不用力:是子游氏之賤儒也。彼君子則不然:佚而不惰,労而不僈,宗原応変,曲得其宜,如是然後聖人也。

書き下し

其の冠を弟陀(いだ)にし、其の辭を衶禫(ちゅうたん)にし、禹行(うこう)して舜趨(しゅんすう)す。是れ子張氏の賤儒なり。其の衣冠を正し、其の顏色を齊(ととの)え、嗛然(けんぜん)として終日言わず。是れ子夏氏の賤儒なり。偷儒(とうじゅ)にして事を憚(はばか)り、廉恥無くして飲食を耆(たしな)み、必ず曰く、君子は固(もと)より力を用いずと。是れ子游氏の賤儒なり。彼の君子は則ち然らず。佚(いつ)なるも惰(おこた)らず、勞するも僈(おこた)らず、原(もと)を宗(むね)として變に應じ、曲(つぶさ)に其の宜しきを得。是(かく)の如くして然る後に聖人なり。

現代語訳

冠をかしげてだらしなくかぶり、言葉づかいは締まりがなく、歩き方だけは禹のまね、小走りは舜のまねをする。これが子張の流れをくむ、くだらない儒者である。衣冠だけはきちんと正し、顔つきをとりすまして整え、口を固く結んで一日中ものを言わない。これが子夏の流れをくむ、くだらない儒者である。怠けて仕事を嫌がり、恥を知らずに飲み食いばかりを好み、そのくせ決まって「君子はもともと力仕事などしないものだ」と言う。これが子游の流れをくむ、くだらない儒者である。本当の君子はそうではない。ゆとりのあるときでも怠らず、労苦のさなかでも手を抜かない。根本の道理を軸に据えて変化に応じ、一つ一つの場面でぴたりと適切さを得る。そうしてはじめて聖人なのである。

解説

非十二子篇の結びです。荀子は最後に、儒家の内部にいる「賤儒」、つまり儒者の看板を掲げながら中身のない者たちを三つの型に分けて笑います。子張の流れは、聖人のしぐさだけを外側からまねる型。子夏の流れは、身なりをとりすまして黙りこみ、もっともらしさだけを保つ型。子游の流れは、怠けておきながら「君子は力仕事をしない」と理屈で正当化する型。いずれも、形やことばで自分を飾りながら、実質が伴っていません。それに対して荀子が描く本物の君子は、実に地味です。暇でも怠らず、忙しくても手を抜かず、根本の筋道を軸に置いて、状況の変化に一つ一つ適切に応じていく。派手さはありませんが、これが最も難しい。私たちも、資格や肩書き、それらしい話し方に頼りたくなることがあります。しかし人を本当に支えるのは、暇なときの姿勢と、しんどいときの粘りです。

この一句を、あなたの毎日に。

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