荀子 / 非十二子篇
今夫仁人也,將何務哉?上則法舜禹之制,下則法仲尼子弓之義,以務息十二子之說。如是則天下之害除,仁人之事畢,聖王之跡著矣。
新字:今夫仁人也,将何務哉?上則法舜禹之制,下則法仲尼子弓之義,以務息十二子之説。如是則天下之害除,仁人之事畢,聖王之跡著矣。
書き下し
今夫(そ)れ仁人は、將(まさ)に何をか務めんとするか。上(かみ)は則ち舜・禹の制を法とし、下(しも)は則ち仲尼・子弓の義を法とし、以て十二子の説を息(や)ますを務む。是(かく)の如くんば、則ち天下の害除かれ、仁人の事畢(お)わり、聖王の跡著(あら)われん。
現代語訳
さて、仁の人はいったい何に努めるべきだろうか。上は舜と禹の制度を手本とし、下は孔子(仲尼)と子弓の義を手本として、十二人の思想家の説を止めさせることに努めるのである。そうすれば、天下の害は取り除かれ、仁の人としての仕事は成し遂げられ、聖王の歩んだ道すじが世に現れることになる。
解説
非十二子篇の批判部分を締めくくる一段です。荀子は「仁人は何をなすべきか」と問いを立て、その答えを二つの手本に求めます。上は舜と禹の制度、すなわち実際に世を治めた仕組みに学ぶこと。下は孔子と子弓の義、すなわち人としての正しい筋道に学ぶこと。この二つを土台にして、世を惑わす十二人の説を止めることが仁人の務めだと言うのです。ここには、荀子にとって学問が単なる知識の蓄積ではなく、世の害を取り除く実践であったことがよく表れています。悪しき説を放置しないという姿勢は、批判のための批判ではなく、より良い基準を示すことによって不要な混乱を減らすということです。私たちの仕事や学びでも、誤った前提が広まっているなら、それを黙って見過ごさず、代わりとなる確かな考え方を示すこと。それが本当の意味で場を整えるということでしょう。